2019年 7月

31(水)
今日も充分暑かった。
娘が仕事に復帰してから、長期の休みの平日は孫三人を預かっている。余りの暑さを避けるため美術館や図書館に行ったりしていたが、今日の様な猛暑だと外に出ることが危ない。午後の暑さを水風呂でやり過ごし、昼寝をさせた。
暑さ対策の飲み物や塩分補給、熱中症にならぬよう気を付けている。
夕方のカナカナ蝉の登場前にジージーやミーンミーンがひとしきり鳴く。去年までは林の中で鳴いていたが、今年は窓辺近くでも鳴いている。
林の中の遠くからカナカナの音の響きが近づいてくる。

30(火)
ミンミン蝉が地上に出てきたようだ。
カナカナやジ―ジ―と同じように、ちゃんと鳴けるかを確かめたようで、今は静かにしている。
今年はそれぞれの蝉の初鳴きが聞けた。次第に仲間が増え、羽根を震わせる音が大きくなっていが、カナカナの音がひと際大きい。やがてジージー ミーン ミンの音が増して林中が蝉の音に満たされるだろう。親を呼ぶ幼い鳥の声がしている。みんなに神のご加護がありますように。
そうそう、水路にクロ川トンボが4羽来ているって、孫が教えてくれた。

29(月)
ジージー蝉が鳴いている。音にならない摩擦音に続き次第にジーっという音になるが、調子が悪いのか暫く静かになる。子供の頃に見た蝉の口の形を思い出した。針の様な口を樹木に差し、樹液を飲むと聞いたことがある。
鳴く、食事をする、他に危険の回避も大切な仕事だねえ。蝉達を餌として狙うモノを避けねばならない。この暑さは応えないのか心配だ。

28(日)
ジ―ジ―蝉が裏で鳴き出した。
カナカナ蝉に続いて初鳴きです。土の中から地上に出てきて、時間をかけ脱皮し、身体が乾くのを待って、鳴く。鳴く、といっても羽根を細かく振動させ音を出す。たったひとりで出てきて、何をなすべきか迷ったりしないんだなあ、大したもんだ。自分の生命を生き抜くんだねぇ。幸運を祈っているよ。


27(土)
朝早く起きた。
鶯が静かにホーホケキョと歌っている。他の鶯か?いつもの鶯は何処かへ行ってしまったのか?と案じていると、少し大きな声で、音程も高く歌いだした。 ホーホチョピーだ。
静かに歌うと本来の鶯の歌なのに、音程も音量も上げると ホーホチョピー になってしまう。どっちにしようか、迷っているのだろう。どちらもカッコイイよ。
カラスも首をかしげながら アー アーと鳴いている。試行錯誤の林だ。

26(金)
カナカナ蝉の数が4羽になったようだ。
随分と元気よく鳴き合っている。そして日が暮れるとピタッと鳴き終え、静かになる。一羽だけの日が数日あり、ひとりで頑張っていた。数が増えると競い合うのか大きな音で林の中に響いている。今日、何処かでジ―ジ―蝉の声を聞いた。ミーンミーンも何処かで鳴いているのか?
蝉の音は羽根を細かく振動させているとか。細かい振動で羽根か傷つかないのか?他の誰よりもイイ音で鳴いて素敵なパートナーに逢えるとイイね、頑張って!

25(木)
今日も蒸暑い。
両国から高輪もそうだが、八丁堀辺りを歩いてみたかった。よく八丁堀の旦那と呼ばれる町奉行所の同心が岡っ引きを連れ登場する場所だ。その位置が解ったのも東京を離れる直前で地名が書かれた交通信号を見かけた。へえ此処が八丁堀かあ、と辺りを見渡した。
オイラが生まれたのは品川の旧東海道沿いで、幼い頃には、自動車に交じって馬が荷を引いて歩いていた、長閑なもんだった。旧東海道を歩くと、大きな樽を洗い天日に干していたり、海苔を乾かす光景が見られた。品川を過ぎると高輪、泉岳寺、三田の大木戸跡を通り銀座通りへと続くその後著しく様変わりした東京で育ち大人になと、忙しくなっちまい、古い歴史を感じる処を散策する機会を失った。


24(5)
旧吉良邸は左程広くない公園になっていた。
何故だか、急に赤穂の浪士たちが討ち入りした吉良上野介の屋敷跡を訪ねた。両国駅を出て、国技館とは反対の方向へ歩いた。相撲部屋が立ち並ぶ通りの裏に旧吉良邸のあった場所を見つけた。旧吉良邸の一部が空地になって白と黒の漆喰の塀で囲まれている。
子供の頃から何度も映画になっていて興味津津で訪ねたのだ。
赤穂浪士の討ち入った場所はひっそりと残っていた。討ち入った後、高輪の泉岳寺の旧主の墓に詣でた浪士たち。
後日、両国から高輪の浪士が歩いた跡を歩いてみようと思っていたが、眼病の発覚で実現しなかった。
東京時代のことを、最近よく思い出すのです。

22(月)
二月の末に血糖値が高いのが解り、食べ過ぎを控え、筋肉量を増やす目論見はイイ方向に向かっているが、まだ下げる余地があると・・・。間食は無しにした。これは無理をせずにクリアできた。
★ 幼い頃、母と一緒に寝ていた。毎晩、眠る前にギューっと背伸びをするのが習慣だった。それは母に云われて始め、中学生になるまで続けていた。中学生になると成長痛を知った。全身の骨と筋肉がヒドク傷んで身体が壊れるんじゃないかと思ったもんでした。中学入学時はチビで同級生を見上げていた。毎年身長が伸び、中学三年間で40p、高校生から岩手移住まで伸びた。母のつくる食事が美味しくて沢山食べてきた。その食習慣は血糖値の危険な上昇までつづいていたのですね。
自分ではチビだと思わなかったが、いつまでも背が伸びないので母は心配したのかな?と近頃、思っているのです。眠る前に、ギューっと伸びをして、と言う母の声、懐かしい。



20(土)
若い頃聴いたイワン・マッコールの楽曲を思い出しています。イギリスのフォーク系シンガー・ソングライターで珍しく無伴奏による歌唱が彼のスタイルです。彼の歌だけで音楽する姿勢に驚きを感じていました。そのスタイルで様々な楽曲を作りました。素敵な愛のうたも。彼の声を聴いていると、メロディーの流れの中にハーモニーが存在していると気付きました。一つに聞こえる音の響きには結構沢山の音を含んでいて、その内含する音の流れがハーモニーを構成するのです。
それは太古の人が自然の脅威を鎮める祈りが音楽の誕生のひとつの起因になった頃からつづく営みのように感じるのです。

19(金)
夜が余り涼しくなかった。
ハーモニーを考えていた。m7-5(マイナー・セブン・フラット・ファイブ)にするか三度上のマイナーにするか、悩んでいたら、暑苦しくなってしまい、脳を冷ますのに骨を折った。
m7-5という和音は使い過ぎると鼻に付いてしまう。映画ティファニーで朝食をの主題歌、ヘンリー・マンシーニの傑作♪ムーンリバー♪使い方は大好きです。7小節目のハーモニーがそうです。ビクター・ヤングの♪ラブ・レタース♪での使い方もイイ例ですね。
一時的な転調へ導くハーモニーで、オイラも一曲に一、二ヶ所弾いています。心の在り様が微妙に変化する場面に使う四和音で、三度上のm6(マイナー・シックス)と同じ構成音ですが、ベースの位置によって同じ構成音なのに雰囲気が変わってしまうのです。結局、暑苦しさで寝返りを繰り返しながら、三度上のマイナーにしました。
夕方になって林の中ではカナカナ蝉の数が増え、澄んだ音色で鳴き交わしています。仲間が増えてよかったねえ。

18木)
一月振りの検査、血糖値は200台を下回ったそうで、イイ値らしいのです。食事相談では、もう少し主食のご飯やパン、麺類は、もっととってもイイと言われました。麺をもっと食べられるというのはありがたい。
血糖値はじめ気になる値は皆、下がっている、という検査結果です、まんず良かった。
★裏の林の鶯は元気に歌っていて声も大きい。
昼間は鳴かないカナカナ蝉、何処に居るんだろう。夕方の鳴き声を聞くまで気になります。

17(水)
ピピピピ ホーチョピ と元気に歌う鶯。随分声が大きく、立派な歌いっぷり。
前回のブログで地上に出てきたばかりの蝉はカナカナ蝉らしい。昨日の夕方、美しい声で鳴いていた。この辺りではカナカナ蝉が一番に鳴き始めるのですよ。そのカナカナ蝉は、まだひとりだけなのです。仲間が居なくてさみしくないかな?
土の下から出てきて脱皮し、身体が乾くのを待って木立に移動するだろうけど、危険がないわけではないよね?無事に木立にたどり着いても、誰かに食べられたりしないように祈っていたのです。鶯も別の場所に移動したようだ。小鳥のささやきしか聞こえない。

14(日)
文章をつくるにはパソコンはもってこいですね。月刊音楽誌でギター講座をやっている頃、何回も原稿を書き直しウンザリしたものです。筆記用具も万年筆で始めたが結局4B〜6Bの鉛筆になった。毎月の締め切りぎりぎりに原稿用紙、五線紙と格闘しては、今書いた文章の前に新たな説明を入れられたらなあ、とため息の連続でした。パソコンの便利さは有難い。まず書き捨てた原稿用紙の山が無くなる。歌詞を憶えるには、見える大きさのフォントで何回もタイピングでオッケー牧場。
有難いことに、つたないブログでも読んでいただける方々にむけて発信できる。ネットのオカゲです。
昼頃、裏で蝉の音が断続していた。長い地中での活動を終えて地上に出てきたばかりなのか?今年初めての蝉の出現の音を聞けたと思います。

413(土)
パソコンのキーボードのABC配列はタイプライターの文字配列そのままらしい。試行錯誤の末に間違いの少ない配列になったらしい。
★ 永年使っていた歌詞ノートがバラケそうになり、タイプライターで新しくしよう思い、友人達に相談すると、皆口を揃え、パソコンの方がイイと云う。そうかパソコンっちゅうのが便利か、と考えていたら眼病の発覚。岩手に移住してパソコンをいじるようになったのは6年後になった。
HP制作で役に立ったし、音源制作では、昔テープレコーダーで制作していた以上に音の劣化が無く楽しく始めた。しかしデジタル・エフェクトを必要以上に施し、その音源の回復を試み続けている。これは素人が滅多やたらにエフェクトしたので仕方ない。視力低下で能率は下がったが、かつて友人達が云った通り、大変重宝しているのです。


12(金)
今日、あたたかい心遣いを頂戴しました。
長い買い物を歩道で待っていたら、長時間、歩道で立っているのを不審に思われたのでしょう、車を止め降りきて「どうしましたか?」と声をかけていただいた。「買い物を待っています」と応えると「白い杖が見えたので・・・」と仰る。「ご心配かけました、やさしいお心遣いに感謝します」と申し上げた。若い女性だったと想います。
寒い日だったので、やさしい眼差しを向けていただき、オイラうれしかったのです。


11(木)
買い物をしている間、外のベンチに居たら、どこかのお爺さんに「風邪ひくぞ」と言われた。半袖のTシャツだったんだけど、そんなに寒く感じなかった。しかし帰って家の中に居ると寒いので長袖シャツを羽織る。
杉の丸木舟で台湾から沖縄、与那国島に男女合わせた五人の漕ぎ手で渡った。入り込んだ海水を桶で汲みだしながら四十何時間かかったそうだ。黒潮の速い流れに負けずに、方向を定めた航海だっただろう。
台湾から晴れた日に望める処へ行きたい、という想いを叶えようと頑張ったんだなあ。
試行錯誤しながら移動した人類のご先祖さま、随分、力を合わせて移動したんだねえ。そう思うと現在の人々が、もっと疎通が在ってイイのに、と考えてしまうのです。

10(水)
鶯が元気に歌っている。
丸木船で台湾から沖縄、与那国島へ渡航、成功!
というニュースを昨日聞き、想いは広がった。
3万年以上前に船で日本に渡ってきた人達。晴れた日には、台湾から与那国島が望めるという。お陽さんと星の位置を頼りに渡航したらしい。
15万年前のアフリカに数千人いた人類の祖先が世界中に移動したらしい。
日本に台湾から人が来る前に人の歴史は12万年。定住もあっただろうし、他の土地へ移りたい気持ちもあっただろう。
そんなことを考えていたらブログを書く機会を失ってしまいました。
そうそうウインブルドンでの日本選手の試合結果も気になってました。ボールの動きは見えないので手前の選手の動きとボールを打つ音で、テニス観戦を楽しみます。錦織圭君は勝ち上がり今夜試合があるとのこと。さてさて何時に試合開始だろうか?
ホー ホチョピ ホチョピ 楽しそうに歌いつづけている。

 8(月)
音楽できらめく星空を再現していました。
空を見上げてもチャント見えない・・・と幼い頃から実感していましたので、余り空を見上げるこはなかったのです。でも天の川は三回見ました。
高校の部活で遅くなった夜。
空いっぱいに輝く星のまたたきを見たのです。東京では滅多にない空気が澄んでいて、星のきらめきが音を立てているようでした。
その星がきらめく音を音楽にしたくて♪内緒にしておこう♪の前奏、間奏をストリングスにアレンジした。オイラとしては初めての管楽器の薄いハーモニーに弦で表現。ベースを弾いていた頃につくった楽曲で当初はツイン・ギターでした。べ―スはウッドベースに変えツー・ビート。

星空そのものになったような浮遊、そんな感じて昨日は一日編集してました。
昨夜は七夕だったんだあ。

 6(土)
トム&ジェリースでは沢山の方々と音楽させていただき、数々の影響を頂戴しました。
TV番組で、お家を処分して名器ストラディバリウスを弾く辻久子さんとの演奏後のCM中に、置いてある名器を拝見していると、辻さんがいらして「触ってイイですよ」と声をかけられた。その楽器が辻さんの音楽構築に無くてはならないんだ、と唯ただ感動して拝見していると、ニッコリ微笑まれた。我らが伴奏したのはナント♪オレンジ・ブロッサム・スペシャル♪というフィドルの名曲でした。
ラジオ番組でご一緒した笈田敏夫さんは休憩時間、トイレの片隅で歌詞を確認されていた。その番組はカントリー音楽の番組でレパートリーの他にカントリー音楽も歌うという趣向で、時間を惜しんで最後の確認をなさっていたのです。
最近、高島忠夫さんが亡くなられたと伺い、高島さんの司会されたTV番組のエンディングで歌った♪故郷に帰りたい♪へブラボーの連発を頂戴したのを想い出します。高島さん、ありがとうございます。
体操をしに外に出ると近くの野球場から太鼓と声援が届く。あぁ今日は土曜日かぁ。お世話になった先輩方からエールを頂戴、スクワットを念入りに行う。


 5(金)
ギターを始めて60年経った。歳を重ねたが、初心者の域を脱していない。月刊音楽誌でギター講座を担当していても、初心者のままだったように感じていました。常に力を抜けず、読者に向けて『力んでいてはナメラカに弾けませんよ』などとアドバイスしていたが、それは自分に向けての発言だったのです。つまり初心者向けのギター講座の対象者の代表が自分だったのです。ですからこの講座が一番役にたったのはオイラなのです。
今でも自分の歌をギターで支えるスタイルを続けています。基本的には中学生だった頃と、余り変わりはないのです。勉強は続けてますがナカナカ巧くいきません。ハーモニーの構成音だって五つの音以上は使ってないのです。
迷いながら、力まないように心がけながら、歌とギターで音楽しています。

 4(木)
しとしと雨が降っている。
この季節クチナシの花が恋しく想う。東京時代から雨降りに咲くクリーム色の花の香りが好きなんだ。こちらに来て出逢った大山蓮華もクチナシ系の香りで、逢ったとたんに好きになりました。
こちらではクチナシを余り見かけないが、時々風に乗った香りが届いてくると、何処かにクチナシを愛でる方がいらっしゃると思い、こころがあたたかくなるのです。

若い頃書いた♪山家暮らし♪ではクチナシの花を登場させました。古からたくさんの歌に詠まれているクチナシ。多くの歌人がそれぞれの想いを、この花、香り、
そして実にかさねていて、その意味の深さを感じています。・・・しのぶれど・・・。

 3(水)
ニール・ヤングの女声ハーモニー、二コレッタ・ラーキンがイイ。特に好きなのは♪Comes aTime♪ですね。細かいフレーズをこなしている。かつてディランと組んで歌うエミルー・ハリスも好きだったが・・・。
二コレッタはニールがボツにした♪Lotta Love♪を見事に仕上げた。声質も好きで、ソロ、バックハーモニーもイイ。何よりニールの歌うメロディーを引きたてている。
♪Comes A Time♪のケイジャン・フィドルもイイ。トムジェリの谷岡さんが弾く♪さなえちゃん♪のフェドル、改めて拍手ですね。

 2(火)
ピート・シーガー氏と並び称されるフォークミュージック界の巨頭のおひとり、マルビナ・レイノルズおばあちゃんにお逢いしたのはステージ・デビューの頃でした。突然彼女の日本公演の労音の制作会社から電話があり、彼女のギターを選んで、という依頼でした。
一日かかって都内のギター専門店を移動し選びました。日本での公演なので日本の風土に合った楽器を使いたいという強い思いでした。その頃、月刊音楽誌のギター講座をやっていて発売に先駆けて新譜レコードを聴いていたので、楽器店でギターを選ぶ際に彼女の新曲を歌い、ギターとの相性を聴いてもらいました。
夕方、彼女の宿舎に招かれた時に「私が主宰するフォークソング・クラブに入りなさい」そして是非、子守唄を作りなさい」と強いご指示をいただきました。
そして書いたのが♪ほうほうの子守唄♪です。
彼女はその十年後に亡くなられ、そのお歳を越えてしましました。


 1(月)
7月です。久しぶりにトム&ジェリ―スの音源を聴いてます。♪さなえちゃん♪、♪永遠のマドンナK♪
、谷岡さんのヴァイオリンが素敵です。前者のケイジャン・フィドル、後者のジプシー・ヴァイオリン。オイラは歌いながら、その音色、表現にウットリしてました。今、聴いてもこころが動きますね。トム・ジェリで音楽できたのは言葉では表現できぬ幸運です。TV、ラジオで素敵な方々とご一緒し更に素敵な音楽へ展開しました。♪さなえちゃん♪ではアンプ使用、♪永遠のマドンナK♪ではマイク録りです。アンプは名器フェンダー・ツイン・リバーブ。勿論真空管です。

一回目の体操はスクワットを入念に、ゆっくり行う。裏の鶯が朗らかに歌っている。
ホーホチョピ 独特の歌い方 おおらかでイイよ。