31(金)
オイラが見かけたカエル。
春先の花壇の土を移植ゴテで掘り返していたら、カエルも掘りかえした。
湖面ごめんよ 起こしちゃったなあ、もう少し寝るか?と土を被せた。花壇に咲いたから―の白い花の中に居るカエルも見たことがある。どちらも小さくってミドリっぽい色のカエル。
夜中家の周りで歌っているのは、何度か見かけたカエルなんだろうか?
多分そうだと思い込んでいる。地面に座って歌っている姿を想像して、歌の音色を楽しんでいる。・・・が何度か見かけたカエルが歌っているかどうかを確かめたわけではなく、あのカエルが歌っていると信じていると思う。
キュウリの葉っぱの上で見かけたし、キュウリの支柱でジッとしているカエルも見かけ、このカエルが夜歌っていると思っている、ホントだろうか?余り考え過ぎると、地下鉄のおじさんみたく眠れなくといけないので考えを止めている。
30(木)
朝食後、外で体操。昨日頬で感じた風、今日は耳にも吹いている。鳥達が鳴いている。大きな声は鶯だけ。その鶯も歌の練習を休み、小さな声。それでも林に響いている。
耳に届く様々な音を聞きながらベンチでボーっとする。こころよい音だ。
平均して人の耳は40hzから20khz位の音まで聞こえるそうだ。
ちなみにオイラの音源編集ソフトでは40khzまでの音を扱える。これは聞こえない筈の音が聞こえる音域に作用していると実感しているからです。CDは16khz以上の音域をカットし、扱う音の量を増やしているのです。そんなことを考えながら こころよい音 を、風に吹かれながら堪能。
つくった音源を こころよい音 に仕上げることが編集をつづける理由なのです。オイラのような素人がデジタルでの作業をすると、必要以上の音を加えてしまうのです。
昨日聞いたツンツンに近いも聞こえる小鳥達の歌声。ああ、やっぱり自然ってイイなあ。工房に戻りブラックで味わう珈琲が旨いんです。
29(水)
ツをウンと小さくしたツンツンという音が開けた窓の外で聞こえ、?と耳に神経を集中させるが、その音は止んでしまった。文字で表すなら『ツをウンと小さくしたツンツン』、・・・聞こえない。鳥か虫か?・・・・聞こえない。
外に出て再度耳を澄ませる・・・聞こえない。なんだったんだろう?
外に出たついでに体操をやる。いつもは勢いを付けるカウントは省略、各種の体操・・・目にはいってくるものを見る。ブルーベリーの白い花の色はなくなり、くすんだ枯れ色がボンヤリ見える。あちこちに株分けした二輪草が「此処に居るよ」と云っている。ああ、随分大きくなったなあ、と応える。肌で感じた太陽の光の量で、明るく晴れた空を想像する。最近空の色が見にくいのだ。汗ばんだ頬に風が気持ちよく通り過ぎる。今日は涼しいなあ。
結局、南極、放送局、目当ての音は聞こえなかった。工房に戻ってブログ更新しているが・・・聞こえない。
そのかわりスキスキスキが聞こえた。よく聞くとスピスピスピと鳴く鳥のかわいい声だ。なんだかホノボノとした静けさが広がる。
27(月)
暑いので眠れないかと心配していたが直ぐに眠ったようだった。
夜中に気になるフレーズを歌うカエルの歌声で目が醒めた。セッカチの様な細かいフレーズだが、四分の二拍子で繰り返している。セッカチだがノンビリ屋か。二拍目の裏に十六分音符の六連、次の音はアタマ。コロロロと澄んだ音色。他にも歌う仲間がいるが、一心に規則正しく歌っている。するとそんなに遠くではないところで、同じフレーズが聞こえる。微妙な間をおき、呼応している。いつもだとカエルの合唱に聞こえる音色だが、昨夜はこのふたりの声が気になっちまった。「今夜は一緒に居ようよ」と呼びかけているのだろうか?と思ったが近づく様子はなく、離れたふたりの呼応はつづいていた、ようだ。
実は又眠っちまったんだよ。
★午後裏のカエルが歌いだした。普段の歌声で左程気になる歌い方ではない。それに応える歌声も聞こえない。しかし朝から午後までは静かだった。やはり夜鳴くカエルは昼に眠っているようだ。
暑いから休める時はしっかり休むんだよ。
26(日)
地面の温度が高くなってる。夜の気温が下がらない。
何処かで香る花が咲いているようで、ほのかな香りに届いている。五月は風薫る月、それが猛暑の月になり、北海道でも猛暑の記録が出てる。身体が暑さに慣れていないので気をつけねば。
夜中の田んぼで歌うカエルは昼間、眠っているのか?という疑問がつづくが、田んぼの水温が上がりカエル達も戸惑っているだろう。
一輪草だか二輪草だかという疑問。今咲いている花のそばに花が咲いているのを発見。二輪草と呼んでイイようだ。
野生の二輪草を見つけたのは高松観音のある山だった。車の轍をたどっていて見つけた。そこに群生している白い花は「毎年撮っているんだ」とカメラのモニタを差してくれた彼の笑顔がかさなって見えた。あの頃は林道でさえ探検していていろいろな発見があった。
25(土)
外に出るとボワーっと暑さが襲ってくる。ドスコイと気合いをいれテッポウをやる。身体中が熱くなり、かかと落し、スクワット、上体ひねりを続ける。家の中で気分良くしていた身体が暑さに押しつぶされる。小鳥がチュチュチュと歌っている。暑さにウンザリせずに楽しそう夜中、鈴をころがすような音で歌っていだカエルは静かだ。あの夜中に歌うカエルは寝ているんだろうか?そんなことを考えながら体操を終えると、二輪草の白い花の色が目に入る。友人が雪が解け始めた頃、山に行って撮ってきたよと見せてくれた二輪草、こんな暑さ、つらくないか?と声をかける。静かに咲いたまま。
家に入りカフェオーレを飲みながら、血糖値を上げないための食事、食べる順序を考える。まず野菜サラダ、次にたんぱく質を取り、最後にパンとかご飯。食べたい順に箸を付けたいが、順序を守るべきなんだと。
珈琲は以前と同じように飲んでいるが、食事の前だとNGなんだと。ホントにそうなのかい?ベランメエ。
医者がリバウンドしやすき時期だから気をつけるように、と言ってたっけ。
ベランメエ。
22(水)
パソコンでポインタの位置を探しながらの作業も体操と同じ様な効果を感じている。
ポインタ探しはパソコンを始めた頃からやっているが、オイラの目では仕方のないことなんですよ。面倒くさいと感じながらも作業を終わると爽やかさを感じうれしくなるんです。拙いブログでも読んでいただいている方々との交流につながって大きなよろこびとなっています。
体操の種類が増えてます。電柱にテッポウ、これが意外と全身の筋肉を使うので、ドスコイ!と気合いを入れやってます。自分でもチョイと滑稽だと感じながら電柱に力をぶつけてます。
裏の林の例の鶯の練習が聞こえます。時には小さな声で首をかしげながら稽古する様子は求道者の趣を感じ、応援したくなり、素敵なフレーズを鳴いた時は、オイラひとりでもイエ―!とウエイブしたくなるのです。
20(月)
ギターを始めた頃はハーモニを表すコードの押さえ方を憶え、ストローク(主にピックで絃を上下に弾く奏法)だけだった。六本の絃を右手でリズムを意識して弾くだけで、当時流行っていた好きな楽曲を再現でき大歓びだった。直ぐにストローク奏法だけでは表現でいない音楽(フォークみゅジックやボサノバ)に出逢い、クラシック・ギターの教則本を買い独学で始めた。
ピックでガチャガチャと弾く音に、右指でハーモニの構成音を一本づつ分散して弾く奏法を得て、レパーリーが広がった。
その後は出逢えた楽曲を自分の声とギターで再構築してきた。それらの楽曲を如何に表現するかも多くのヴォーカリストから学んだ。
東京で生まれ育ったので来日したアーティストのコンサート達のコンサートを聴き、音楽に向かう姿勢を学べた。
流通する商業的な音楽の他に、心に響いてくる音楽、それを支えるアーティストの存在を知ることもできた。これはギターを始めた少年にとって、大きな幸運だった。プロデビュー前にピート・シーガー氏やマルビナ・レイノルズ氏に逢え、話ができたのは更に幸運でした。
林の上部に激しい風が通り過ぎ、小鳥達が忙しそうに鳴いている。
外に出て体操してきた。一輪草だか二輪草だかの白色が大きくなっている。蕾が膨らんでるんだ。工房で聞いた風の激しさは、辺りのものにぶつかりピューゴーとやかましい。カエルがコロ コロと鳴いているのは雨降りの前触れかな。工房に戻ると窓際で幼い鳥の鳴き声が何か訴えている。
19(日)
昨日、久しぶりに木刀を振った。腕立て伏せもどきだけでは足らないと思い、加えた。
大相撲で基礎体力を整える鉄砲を電信柱でトライする。上半身だけでなく下半身の筋肉が動いている実感。急に体育会男子になったようでおかしい。ベンチでボーっと周囲から届く音を聞く。釜石自動車道の走行音が結構強い風に乗ってくる。駐車場の石を踏む音、小鳥の声。
★ 昨日、眠る前に浮かんだ楽曲のメロディー、ハーモニを頭の中で追いかける。
オイラのギターは音楽の要素を奏でるので、最近、ベース音の動きを研究している。多くの楽器を重ねる多重録音でのハーモニと違い、ギターだけでオイラの声を支えるシンプルなサウンドではギターの奏でる音の一つひとつが重要なのです。
18(土)
モクモクと春のエネルギーが湧きあがる新緑の季節は終わったんだと。今は緑が濃くなっているんだって。
食いしん坊が美味しいと感じる山々のモクモク。マヨネーズで味わいたいと云ったひとの気持はよく判る。
★子供の頃に聞き流していたドリス・デイの歌だが、数年後彼女の歌の素敵さに感動したことがあった。当時流行っていた♪More♪、他のひとのバージョンより深く丁寧に表現していた。当時のトップテンにランクされていた歌に比べ、大人の歌を感じた。
現在、テレビコマーシャルで彼女のケ・セラ・セラ、彼女の音楽に向かう姿勢が表れているのに気がつく方は少なくないと思います。ドリス・デイさん、出逢えてよかったです。ありがとうございます。
★増えた筋肉が熱っぽい。使わなかった筋肉が少しづつ増えていると期待している。
摂取したカロリーを消費するくらいの筋肉量だとイイな。
今まで食べた美味しいものが脳裏に浮かぶようになった。何処どこで食べたとか想い出してはため息をつく。
17(金)
この二ヶ月半の軽い運動で筋肉が増えた実感がある。いかに身体を動かしていなかったということだ。スクワットを20回、かかと落としは10回、フェンスに手を置き行う腕立て伏せもどきも10回。これを1セットにして日に3セットやっている。腕立て伏せもどきは足をなるべく遠くにし、フクラハギを伸ばしている。この運動の後はベンチに座ってボーっとしている。陽が出ていれば短い日光浴になる。
昼過ぎに買い物につきあって歩く。いつものスーパーでは野菜や花の苗を売っていた。例年より遅いようだった。
夕方の体操も頑張っちゃった。足の大きな筋肉量が増えるとイイなあ。
16(木)
三回目の血液検査、血糖値も下がっているらしい。もう一つの数値(二、三ヶ月のナントカの値らしい)も下がっていると言われた。
管理栄養士が診る食事の内容もイイらしい。しかし生活習慣を変えた効果はあるが、未だに健康的な血糖値より高いので、一層の努力をしなさい、ということだろう。
体重は理想的なんだそうだ。
運動量を増やして筋肉を付ける、これが今できること。週三回のウオーキング加えようか?
★午後の体操をした後でベンチでボーっとする。カエルの合唱を聞きながら遠くの山を見る。そよぐ風が気持ちよい。時々キジがギャッと鳴く。こちらに来た最初の年は散歩コースにキジの住処があり、そばを歩くとバタバタと大きな羽音をたて飛び上がるキジの姿を見たものだ。飛び上がる時の空気を切る音は印象に残っている。
こちらに来てから日本語の歌をうたうようなった。日本語の響きの美しさを感じるようになった。中学時代から英語の歌が好きになって、数年後ギターを始めてから英語の歌ばかり歌ってきたが、小、中学校の音楽の時間に歌った歌にコーラスを付け、楽しく展開している。
そんな音楽をつづけてゆくには健康でいなきゃぁなぁ。
15(水)
昨夜は雨が降り、気温が高く寝苦しかった。掛けていた毛布を一枚除いたが、今日の気温は高くならず、体温調節が難しい。
畑に植えた野菜の苗達も「どうするべー」とうろたえているんじゃないかと思ってしまう。
ムスカリの花が終わって似たような青色の花が咲いている花壇では一輪草の蕾ができている。一輪草は去年株分けしてアチコチに居る。「今年も一輪草を撮ってきたよ」とカメラのモニタを見せてくれた方がいらっしゃった。不治の病をかかえて頑張っていらしたが、その後亡くなった。彼が好きだった一輪草、白い静かな花だ。彼が「お宅の前から早池峰が見えるよ」と教えてくれた。山歩きが好きで亡くなる前にカナディアンロッキーを見に行き、その感動を話してくれた。彼にオイラの目のことを話していたので、一輪草の静かな美しさをオイラの記憶に残るよう毎年画像を見せてくれたのだ。ありがたいことです。
14(火)
同じ甘いものを食べても、血糖値が上がらない人がいるらしい、と友人が教えてくれた。体質の違いだろうか?
盛岡講座だった今日は盛岡駅のエスカレータは使わずに階段を昇り降りした。全然疲れは感じないが・・・。スクワットを毎日やっているせいか、始めた頃はゆっくりだったが、今では普通の人のペースになった。
おやつはヨーグルト、オレンジピール、小豆の餡、クルミが入っているの食べている。洋館の厚切りなんかは、この二カ月半まったく食べてない。ポテトチップスも・・・。
三回目の血液検査が近くある、日頃の生活でどの程度改善しているか否か・・・が判ってくるのです。
13(月)
冬の室内着のまま外に出る、暫くすると暑くなり上着を脱ぐ。今日の空気はカラッとしているようで東和町を囲む山々がスッキリ見える。オイラの目では見えないが早池峰の雪も見えるらしい。
田んぼのカエルは水に慣れたらしく静かにコロコロと鳴いている。水が入った環境になると自分のテリトリーを主張するのか声がデカかったが、それぞれ落ち着いたのだろう。
昨日のブログで、リスナーと一緒に歌えるように、と歌詞をプリントしてくれたサポータの方、あの頃はパソコンもないので手書きして、それをコピーしてくれたんだ、面倒な作業を引き受けてくれ、改めて感謝をしている。
最近のブログで、日付を濃い太字にしている。
これは、そうなるようにタグで指示している。
ローマ字入力を英字に変え、記号と濃くする b とフォントを大きくする big を <> に入れる。その指示を終わらせるには <> の中に / と指示を表す b と big を入れる。最近遠ざかっていた記号の在りを探すのに一苦労なんだけど、この作業の血糖値を下げるのに役立っているのでは、と踏んでやっているのです。記号探しは、目がとても疲れるんだけど、体操と同じように筋肉増量するのでは、と考えてる。これらの作業をする時は珈琲に助けられてるんだ。
12(日)
日が暮れると気温が下がっている。日中、陽射しがあり暑く感じるが、気温が下がると寒く感じてしまう。田んぼのカエルは元気な声をあげ、中には大きな声を出している。涼しくなって鳥たちは静かにしている。
晴れていたので放射冷却があるかもしれない。野菜の苗を植えたので、チョイと心配だ。
編集中の音源、各楽器の音量、音質を整え、全体の音量が大分上がった。メインのヴォーカルとバックコーラス、ストリングスが同時に盛り上る部分ではストリングスの自然な高域を目指し、試行錯誤が続いている。楽曲名は♪Today♪、二つ目のバンドの頃、リスナーにもコーラスに参加して貰おうと、歌詞をプリントしていただいたサポータのご厚意を想い出しながら編集しています。
11(土)
近辺の田んぼ、水を入れて田植えの準備が整い始めたようだ。水の中でカエル達は元気に鳴いている。一人ひとりのカエルの声が大きく響いている。花の香りだろうか、この辺りがイイ匂いになっている。小鳥達も春の訪れにウキウキし、誠に嬉しそうに鳴きあっている。
★一ヶ月毎の病院通いを来週に控え、運動量、食事の内容など気にかかる。最大の原因、食べ過ぎに関しては、ゆっくり摂っているので、量を減らしている実感はある。病気発覚以前は歩くだけが運動だったが、軽い体操が加わり、カロリー消費への効果を期待している。血糖値を下げる薬があるらしいが、薬服用せずに対応したい。
裏の林の例の鶯の練習が始まった。今日は一段と気合が入っている。考えながら新しいフレーズを模索している。
今ふと思ったが、この鶯は去年イイ声で鳴いていた鶯とは異なるのか?
毎年たどたどしい状態から歌い始めるのか?それにしても毎年頑張っているなあ。無理せずに体調を崩さぬように!
夕方、田んぼの方向で重機が動いている音がする。家の前に出てみる。動いている、この土、日から田植えが始まる。小さな畑でも作物を踏んでしまう危険があるので、畑作業もできなくなったが、田植えが始まるとうれしくなるのは不思議だぁ。
9(木)
夕方、筋力を付ける軽い運動の後、ベンチに腰掛けてボーと空を見上げ、のんびりした佇まいを味わう。
音楽を聴いていて感動し 鳥肌 がたつ経験はよくあることだが、ある場所へゆくと、波動のようなものを感じることがある。そういう場所があちこちに在ることに驚いている。
それは視覚を通じてではなく、直接心に届き、心から身体へと広がってゆく。その状況に危機感は生れず、いつも自然に受けいれている。太古の人々が自然から感じていた懐かしい記憶そのもの。
岩手に移住した直後、素晴らしく晴れた日に見た岩手山をはじめ、町内の神社や近隣の町でも感じていた。
8(水)
最近、見て、というか目から得た情報で印象に残っている素敵なもの。
土沢アート・クラフト展の帰りに目に入ってきたドウダンツツジの芽吹いたばかりの黄緑色、ツツジの上の面だけ届いてきた色だ。多分咲いている花の色もまじっているのだろう色から、トウダンツツジの花の形も思い出して尚更嬉しかったのだろう。
盛岡で信号待ちの時、ミーが誰かと話している。背が高いね、何センチ?168です、もっと高く見える、足元の地面があ高くなっているから・・・。親しげな二人の会話。オイラたちを追い越して足早に歩く後ろ姿、スーツのスカートから伸びたふくらはぎの色。ここいらでは稀なスカート姿に、やはり何か思い出したようだ。
7(火)
昨夜は雨になり、家の周囲でもコロコロと高い音で鳴くカエルの合唱が聞こえた。
その音を聞きながら和音のオベンキョウを暫くした。マイナー・セブン・フラットファイブ。頭の中でベースやギターを弾きながら幾つかの楽曲で調を変え学習。例えば♪幸せの黄色いリボン♪を挙げる。オイラが歌う調で。
♪Now I got to know what is and is’nt mine♪
のハーモニの進行にでてくる和音を意識しながら数回繰り返す。
このマイナー・セブン・フラットファイブという和音は微妙で不安感が混じった響きで、落ち着いた和音につながりたい性質をもっています。オヤ?!と感じさせて、次の和音で落ち着かせ進行してゆくのです。
オイラは和音を絵画での絵具にたとえるんだが、安心する和音の中に緊張感のある和音を加えて進行するパターンを復習。これを繰り返していると興奮状態になり眠りから遠ざかってしまいます。
そろそろ眠んなきゃ、という時は、ユックリ・ノンビリした楽曲を奏で、眠りを誘うのです。
★ 午前中湯沸かし器のタンクに灯油を入れる。ポリ・タンク半分づつ入れていると、例の鶯が間近で鳴き出す。
ホー チョペチをつづけ
ホー ホチョペが加わる。
圧巻はピピピピ チョペチチョペチチョペチ
チョペチが三連が見事なのです。黙って聞くだけでは申し訳ないので、イイねぇ とてもイイよぉ、と声をかける。更に大きな声で応えてくれる。
6(月)
田んぼの方にカエルの鳴き声が響いている。その数も多く周辺に反響して広がっている。昨日より水を引き入れた田んぼも増えたようでカエルの澄んだコロコロ音にこころが反応している。
カエルの鳴き声から察すると、土の上にキャッ キャッ、ケロケロの二種類はいるし、雨がしとしと降る時には田んぼから聞こえる澄んだ鳴き声の主もいる。たまにゲロゲロと低い声のもいる。町中では超低音の鳴き声を聞いたこともある。
田んぼで盛んに鳴いているカエルは、田んぼの土の中で冬を過ごしていたのだろうか?水が入る前は左程の大合唱ではない。水が入った環境に嬉しさがほとばしっているようだ。
★
カエルの鳴き声と種類。カエルの様々なかたちを思い浮かべていたら、和音の響きと和音の種類へと考えていた。外では時折ピューと激しい風が何かを震わせている。
ギターを始めて和音が大きな意味を伝えていることに気付き、知っている和音の在りようを絵画での色使いと関連させて考えていた。基本の三和音は絵具そのもので、音を加えると微妙な色合いになる。こうしてできた四和音の三度、五度、六音、七音を変化させると更に微妙な色になる。これを気象の変化と和音の色合い(色相)を関連させたりしていた。風の形相などを和音の変化にしていた。
一つの音にもう一つの音をかさねる、二部コーラスだ。その重音は和音の内の二音であり、既に変化した色合いとなる。こんなことを理論的に考えてゆくと和声理論につながる。専門的な音楽教育を受けなかったオイラにとって、好きな音楽をギターと声で再構築するのは和声理論を理解する大切な過程となりました。
音楽を実践すること自体が音楽がもつ理論の在り様に近づくことだった。
5(日)
昨夜採ったうるいを味わった。思っていた以上に野趣があるのに気が付いた。ゆっくりと噛んで食べるのが二ヶ月つづいているせいかな?美味しかった。
今日もバイパスの向こう側の野球場が盛り上っているようだ。バッターの守備ポジション、背番号を紹介する女性アナウンスが聞こえてくる。
例の鶯は練習中、大分鶯らしいフレーズになりつつあるが、これでイイのかな?と考えながら繰り返している。
一昨日、昨日の土沢アート・クラフト展、懐かしい人びとに会え、ゆっくり話もできた。
おやつ無しで三回の食事をユックリ食べ、軽い運動で筋肉量をキープ、という日を続けながら、音源編集も続いている。必要な高域を何処までにするかが最近の課題で、必要以上の高域を削っている。特に16人のボーカル、第一バイオリンの高域の出過ぎを抑えているが、むつかしい。
試行錯誤を繰り返している鶯の気持ちが判るような気がするのです。
★
お昼御飯の後で体操していると例の鶯の歌声が正面から聞こえる。
ホー ホチョピ
一般的な鶯の鳴き声に近くなってきた。音量も凄い。このフレーズを繰り返し
ピピピピピ ピチョピ ピチョピ ピチョピ
が混じってくる。この長いフレーズは見事、ミゴト。自信に溢れた声だ。あの朝方、何か大きいものを会得したんだなあ。お見事!!
夏日のような暑さがおさまって涼しい風がそよぎ、気持ちイイ。
田んぼの方向でコロコロというカエルの鳴き声がする。水が入ったのか?澄んだ音が届いてくる。田植えの準備が始まったんだなあ。
4(土)
待っていたうるいが出て来た。毎日見ていたつもりだったが、三日位前に出て来たんだと。早速根元から切って貰った。茹でて頂こう。うちでは小松菜の種子を春先に播き、摘んでは頂いている。殆どクセがないうるい、楽しみだ。
ちいさなカエルが草むらからピョンとでてくるそうだ。オイラの目では追いつけない速さ。この時期まだ眠っているカエルもいる。軽く土を被っているのを何回か見かけ、起きなくてイイのかい?と問うと、まだイイんだと、動かないんだ。
裏の林でチョピチョピ鶯が鳴いている。早朝聞いたより、大分落ち着いた鳴き声なった。ホーチョピチョピのホーがハッキリしてきた。いままで聞いた鳴き声ではない、新種の詠い方。今後どのような詠い手になるのか、これも大いにたのしみだ。
2(木)
ホー チョピ チョピ
チョピ チョピ チョピ チョピ
という奇妙な音が聞こえた。
夜明け直後だろう、工房の北側から大きな声で鳴いている。
鳴き声の主は鶯だと直ぐ判った。
最初のホーはホーホケキョと鳴く時のホーそのもの。その後のチョピ チョピは聞き慣れぬサウンドだ。リズムにのったホーチョピチョピが1小節、2小節目はチョピチョピ チョピチョピチョピ。
たった今思い付いたんだと、興奮しながら何回も繰り返す。
少し西側に移動し更に繰り返す。オイラは聞こえた音が夢なのか現実なのかを考える。夢ではないぞ!現実だい!とトイレに立つ。
実は、その音を聞く前に、夢をみていたのだ。古代の歌謡を聴いていた。レコードに収められた音源。現代の人間が歌っている歌謡、歌い手の写真がジャケットに載っている。古代の人間っぽい風貌だった。詠う言葉は現代のものではなく意味不明だが、オイラは一生懸命に聴いている。そんな夢を現実に戻したのが、さっきの鶯の興奮したフレーズだった。
目が醒めてしまうと寝不足になる時間だったので、オイラは驚きをしずめ、鶯の鳴き声を頭の中で音符にしてから、眠った。
朝食後、外に出て体操。体操をしてたら夜明けの鶯の声を聞けるのではないか、と思い、静かにカウントしながら体操。聞こえてきた。夜明けの興奮はしずまり、ケキョケキョの後に、夜明けのフレーズをつづけると、細かい雨が降っている。静かに家に入る。
平成から令和にうつった様に、鶯の鳴き方も変わったのか、とボンヤリ思った。