2015年 2月

 4(水)
きょうから暦のうえでは『春』になる立春だと。hホンマカイナ?と昼前にホンのひと回り散策したら『春のように』殆どアスファルトの上を歩けた。しかしとけずに歩道にシガミツイテ凍っている部分ではツルツルとして『オットット状態』を繰り返す。昨夜はマイナス9℃だったのがウソのように空気はあったかい。オマケに陽射しがあ有難い。☆帰り道に田んぼ脇の水路を覗くカラスに会う。ムクチカラスでシャガレカラスの元の棲みかの仲間のようだ。『このあいだ知り合いのシャガレカラスもそこを覗いてたが、そこに餌があるのかい?冬の間、食べものは大丈夫だったかい?』と話しかけたが、『・・・』とダンマリ。殆ど見えてない観察(?)では『・・・』に拒否感はなく、性格が無口のように感じるが、暫く目を会わせたあと、飛んでいっちまった。きっとウチキカラスなんだろう。『暦のうえでは』と云うのは人間だけなんだろうなあ。ほかの生命たちは『自然』の在り様を敏感に感じ取って生きてるようだ。


18(水)
久しぶりの震度4の地震でJR釜石線がストップし再開後もダイアが乱れた。早めに土沢駅に着くと馴染みの駅員さんが約一時間遅れだと云う。講座の事務局へ事情を伝え、一時間遅れの開講も可能と対処していただき、休日と聞いていた息子に電話して花巻駅まで送って貰う。これで幾らかロスを短縮できるとホッとし車窓から雪景色を眺めながら、送ってもらった距離と東京の地図を重ねた。その約10qを東京での日常的な移動に当てはめると、家を出て新橋か有楽町辺りに行き付く。かつて歩き慣れた駅までの道のり、私鉄を山手線に乗り換えて辿る道筋が蘇る。約30分かなあ、などと考えたせいか開講した講師は妙に疲れていた。☆この間の誕生日に運転免許証を更新せずに返納しようと決めるまで迷い疲れたのも想い出す。


20(金)
こころのなかに幾つかある楽器の調子がどうにも合わずにオチコンデいた。つらくなるニュース報道がつづきざまに届き、調子は狂いっぱなし。音楽する者は“基準になる音(A=440hZ)”に自分の楽器を調律する。そうすればいつでも誰とでも音楽をたのしめる訳だ。現在では一つの基準音なのだが、カツテハ指示する作曲者や指揮者によって異なる幾つかの音で調律していたとか。そして平均律のピアノが普及するにつれ、現在の基準音が登場。☆オイラのなかで響く楽器それぞれが、一時は調律不能の状態になっていたが、少しづつ回復しつつある。それは“人様とのかかわり”が、失われていた“調律しようとする意欲”を蘇らせてくれる、ようだ。☆やっぱり人間はひとりでは生きてゆけぬ存在なんだなあ。ほんのチョッとでも人様と優しい眼差しで向かい合うことから何かアッタカイものが、こころを和ませてくれる。オチコンデいた時、“香りのある白い花”が傍にいてくれたらイイナアと想っていた。人様と向き合うことで、こころのなかに花が咲き、やさしい香りの傍で楽器たちの力が、やがて回復するだろう。有難い恵み。


26(木)
時々歩く道からすこし入りこんだ処におわすお地蔵さまなので、遠くから会釈をする程度の間柄だったが、その日は雪解けのぬかるんだ道を入り、前を通った。『?』と目を凝らすと合羽を着ていらっしゃる。頭と胸を包む布の赤ごとビニールの合羽に覆われて、更に風でとばぬように紐でとめられている。何方かが雪をよける為に着せたのだろう、チョッと窮屈そうなお姿だが、あたたかそうだった。数年前に何処から移ってこられたお地蔵さまだと聞いていたが、当地の方々にすっかり打ち解けていらっしゃるようだ。どうぞ子供たちを見守ってくださいと手を合わせながら、次回はお花をお供えしたく想います、と伝えると素敵な笑顔をくださった。