ひとり歩き 〜 近況

病の発覚で視野喪失95%以上、要介助3級の身体障害者と認定されてから選んだ岩手暮らしの中、朝夕のわんことの散歩で『本当に見えてないんだ』と気付くのに、5年位かかり、“一人歩き”は極限られた範囲に留めていましたが、友人達の応援で盛岡での音楽講座で広がっています。
ひとりで歩いているように見えるでしょうが、友人達のあたたかい“支え”を受けて“ひとり歩き”しているのです。



2020年12月01日
今の目でどの様に見えているのかを説明するのは難しいです。
この病の発覚時、95%以上の視野が死んでいたのですが、視野の中心が残っているのが幸運と言われました。今は5%未満の視野がどの位減っているのかは測定できないそうです。
一人歩きはできなくなりました。
パソコンの文字は拡大鏡(4倍にセットしてます)を使いブログを更新しています。横にならんだ文字は隣の文字まで、見えていますが慌てていると打ち間違いをします。
外で体操する場所は家の前の道路で行います。そこは車が殆通らないの好都合です。その道路で軽い体操、スキップをします。フェンスに掴まり腕立てもどきも。
外見では白い杖を持ってないと目を患っているとは思えないでしょう。
向こうから人が近づいても誰だかは判らないでしょう。知り合いは声をかけてくれるので、声で認識しています。
歌う時も歌詞が見えないので、憶えた曲を歌います。ギターは憶えているものだけです。
ですから講座では百曲以上をハーモニー進行は憶えているのでオッケー牧場。


2019年10月
滝沢で演奏し、翌日は中津川ベリフォークジャンボリで、更に翌日は定例のテレビ岩手アカデミーで音楽してきて、今日はそ疲れを感じています
台風の甚大な被害があッ田のでこのページから届けます。
音楽していて聴いていただく方々から届く波動の存在を知ってから、大きなコンサートホールでは感じられなかった、聴いている方々も音楽し、その時空間に流れる想いに感動しています。
 中津川ベリフォークジャンリーは二十周年でした。時々ステージの演奏を聴いた際に、習慣で演奏する姿を見ようとしました。そうしたら、今日目が疲れているのに気付きました。目を凝らしても見えないのにねえ。音楽が大好きという仲間が、更に笛歓んでいます。そしてオイラより年上の方がお二人いるのも判りました。音楽三昧の日々でした。


2019年05月
三回目の血液検査の結果は、数値は下がっているらしいが、まだ改善の余地がある。
筋肉を付け、カロリーを燃やす。二ヶ月半のスクワットで足の筋肉が少し増えた実感。


2019年04月
ひとりでは歩けなくなりました。
ものが見えなくなったのです。

2月末のこと、二日つづけて寝起きにふらついたのです。脳外科に行ったが脳は異常ないらしい。血液検査の結果、血糖値が高いのが判った。糖尿病らしい。運動不足、食い過ぎが原因らしい。規則正しく食事をとり、運動不足の解消が必要だ。食いしん坊にはコタエル状況です。

一ヶ月間、早起きして一日三食を摂り、間食無しを続けて、幾らか血糖値の数値が下がった。
歩くことも多くなった。夜中のトイレの回数も減り、嬉しく思っている。



2018年09月29日
ひとり歩きはできなくなりました。明るい陽射しがあれば、知っている範囲はゆっくり歩けるが非常に疲れてしまいます。
体力も弱り、困ったもんです。


2018年02月04日

車の運転をやめて良かった・・・と思う。急激に視力が衰えたし、視野もせまくなってしまった。

暗い処ではものあり様が殆ど判らない。

HP更新の頻度も少なくなってしまった。
マウスを動かすがポインタを見失ってしまう。ブログの文章も拡大している。

パソコンを使いだした当初、必死にブラインドタッチ・タイピングを憶えておいて良かったと思います。
ケータイの操作も困難になり、メールも家に戻りパソコン打っています。


(2015 11/18)
左右それぞれの見え方の違いが大きくなったようで、見えにくい。
そのせいか産直前の温度表示が、以前見えていた距離でも見えなくなった。
夜、息子の車に乗っけられて移動する際に、今年の誕生日に運転免許の更新を断念したことを思い、適切な判断だったと自画自賛してる。
暗い処ではマッタク見えなくなった。

(2015 9/03)
HP書き込みソフトのメモリーの残量が少なくなったので、古いブログの画像を削除しています。12年の画像もそろそろ消えますので。古いブログの画像を見返していて、視力の変化を感じている。明るいしコントラストもクッキリしている。最近は左右の目の焦点が合いにくくなっている。だから本を読みたくても直ぐにぼやけてしまい本を閉じている。


(2014  4/12)
・視野が随分狭まったようだ。
先日の視力検査ではメガネも合わなくなっているとか。
車の運転を控えて一年半、もう運転免許を返してもイイように思うが。
先月だが、土沢で悲惨な交通事故があり、他人事とは思えなかったし。
かといって誰かに運転して貰うのもこころ苦しく思うのも事実。



(2013 11/10)
・先月、ケータイを操作し、歩くのが滞る人を避けようとして盛岡駅でコケタ。
避けた処に段があり両膝をついてしまい、すっかりショゲテいた。
歩く速度は随分遅くなったが短気なところは治らない。改めて落ち着きをと猛反省。



(2013 05/04)
・英和中辞典の細かい活字が見えにくくなった。
白内障の手術の際に、裸眼で読書できるように眼内レンズを入れてもらったが、最近は読書の時間も少なくなった。

 愛用の中辞典の活字は小さいので、本棚に眠っていた重たい大辞典をヨイショと気合いをいれ読んで、細かい意味にたどり着いている。


(2013 02/24)
今日のような曇りの光では雪道の凹凸が見えにくいので歩くのが億劫になる。最近の寒さで、三十代、バイクで骨折した左指の小指の先が突然痛みだしマッサージを続けている。強い冷房の場所で演奏すると、毎年何回か違和感があるのだが。
ギターの弦は6本で、それを親指以外の4本で押さえ音をつくって、右指(小指以外)の4本で弾く。高音を押さえるのが小指で重要な音を担当するので真剣に小指の先をモミモミしてはトレーニングしている。
体力の減退が気になるこの頃、いつまで音楽ができるのだろうか?

(2013 02/08)
若い頃から感じていた楽器の誕生。最近は長調、短調がつくられた過程を考えている。ピュタゴラスの計算、不協和音だった三度。古代の音楽の響きと長い、幾代にわたる人の営み。自然。ぼんやりしながらアタマが回ってしまい、ブログをサボる。


(2013 02/05)
身近での予測しがたい動きには、俺の目では対応できないようだ。例えば二歳の孫は興味のあるモノを見つけると、私に「じーじ、○×△!」と云いながら見せに来る。彼の顔を見ていると、伸ばして示しているモノの存在に気が付のに時間がかかる。
それでも遊びに来ると、飽きずにヤタラいろんなモノを見せにくるのだ。「これ、見えるでしょ!」と何かを喚起しているようだ。

ご飯茶碗に、ご飯粒が残っているかを確かめるのに、時間が必要になっている。

(2013 02/02)
久しぶりに書き込んでいる。
ネットがつながらなくなって3ヶ月。
その原因を突き止めもせずレパートリーの整理や、思い出した歌詞をパソコンでタイピングしたり、コードネームを見やすく表現できるようなことをしていた。

どうしても思い出せない歌詞にであうと、以前はネットでの検索で確認できたが、今回は何回も歌い直して辿りつく道を選んでいた。

音源の編集からは完璧に遠ざかっていた。
亡くなった姉をおもってしまうと、果てしなくオチコムので、彼女に案内された『音楽』を見つめていた。

姉の存在がなければ、音楽に出逢うこともなかった。姉の音楽は、今でも素敵な音楽を届けてくれた素敵なアーティスト達と並んでいる。

『又、音楽レッスンを受けたい』という申し出を受けたので、俺なりの音楽へのアプローチ法をパソコンで文章にしている。
東京時代に続けていた音楽に関する執筆活動では、常に初心者だった自分を思い出しながらの作業であったが、姉から受けた幼年時代の音楽へと遠くさかのぼると、曖昧な記憶のため記述に困難を感じてしまう。

思えは、姉はどんな気持ちで、幼い俺と音楽をしていたのだろうか?



(2012 10/24)
歳のせいか記憶のなかの時系列の新旧がコンガラカッテしまう時が多いのだが、亡くなった親しい方々を想う時、その方々が、今まで経験したことのないイメージで現われることがある。画像のような平面ではなく、強いて云うとすると、通り過ぎた風のなかに感じたり、或いは“音楽”のような在り様を心に感じるのだ。
視覚でものを捉えるのが困難になったので、それ以外のアンテナで感じているのだろうか?加齢による幻覚だろうか?


(2012 9/26)
 夕方、暗くなる前に久しぶりにご近所散策ウォーキングをしようと歩いた。大分前に裏の林の影は東側に伸びている。すぐ傍の田んぼは稲刈りをしている。
5:10出発、まだ空が明るいし、景色もチャンと見えている。稲を克ってしまった田んぼの様子も見えている。

25分歩き小休止、道端にある北上猿ヶ石地域の案内地図も見えている。

数分の小休止後、来た道を帰るが、あっと言う間に暗さが広がる。陽が隠れた西の方向を見ると、ウッスラト田んぼの存在が判るが、一度空の明るさに目をやると、今まで見えていた風景が暗くなって見えない。ケータイのカメラを、今見ている景色に向けてみる。
 大部分、空をフレームに収めると山の手前の景色が露出不足で暗さがまし、田んぼの風景をフレーム内に収めると、明るさが増してチャンと見える。俺の目と同じだ。

帰り道は、どんどん暗くなり、空を見てしまうと足元が見えなくなるので車道の白線を基準にして歩く。ついに家まで僅かの処で、道路と、端の草むらとの区別が付かない。友達ワンコが“こっちに来てよ!”と叫んでいるが見えない。彼女は黒ワンコだし。暗闇に紛れて見えない。ゴメン、見えないんだよ、又今度なあ!と声をかけるが、何故来ないんだと不満の声。

最後の100mは超スローペースで歩く。
家に到着。6時10分前。どんどん早くなる日没。

ひぇ〜疲れたぁ!!!


(2012 06/24)
・花巻市シニア大学の二つのクラスの移動研修に同行して、釜石の大震災の一年三ヵ月後の状況を見させていただき、根浜海岸の宝来館で女将さんの話を伺い、昼食かき込んで音楽と講演をした。
 あらかじめ話す内容や演奏する楽曲も思い付かず、目を閉じたまま、こころのままに三曲を音楽した。会場になった宝来館の広間はテーブルを片付け椅子の向きを変え、前の方には、花巻のボランティアーグループの『結いっこ花巻』の方々の送迎によって来られた、近くの仮設住宅で暮らす方々がいらっしゃる。後方にシニア大学の方々が。
『被災地の現状を見させていただけるなら、伺って、今後どのような支援ができるかを考えたい』という趣旨で集まった『学生』さんとは往路のバスの中で同行の機会を得られた感謝の気持ちは伝えられたが、講演する不安は拭えなかった。

 後になって思えば、何も云えず一曲目に♪A Heart of Gold(孤独の旅路)♪を演奏したのは、冒頭の
I wanna live, I wanna give
 (私は生きていたい 分かち合いたい)
という歌詞が無意識の俺に届いていたのだと思う。

学生さん達、被害にあって仮設住宅で暮らす方々の存在に向かい音楽する。
生まれ育った東京を離れ♪山家暮らし♪で届いてきているものが、♪きみに逢えてよかった♪と伝えさせたようだ。

 仮設住宅に暮らす方々と音楽で交流。学生さん達の家の庭に咲く花に、言葉にならない想いを托す。

 何とも忙しい一日だった。

今後の生き方に反映する何かを得られたようだ。又、逢いに来ますから、お達者で!



(2012 04/02)
・視力が弱ったように感じている。
今までハッキリ見えていた風呂のコントロール・パネルの時刻がボヤケテいる。
・黒いニャンコとつきあうようになって、いきなり目の前に黒い影が広がりビックリする。TVを観ていて、この猫がコタツの上に音もなく移動していたり、パソコンで文章を打っていてモニターを凝視している時に頭の上のプリンターから両腕の間に飛び降りてきたり。
・昨日の古舘のライブ会場に入った瞬間など、明るい処から暗い処に移ると、モノが認識し辛くなったている。


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・(2011 11/20)
 ルテリエでの発表会。雨が降っていたので車でゆっくり土沢駅に移動し、切符を買って時刻表を見ると、時間を間違って家を出てきたのに気付く。ネットで調べた花巻駅での乗り継ぎの時間だった。次の汽車まで一時間半以上あるが盛岡直通なので安心し、家に戻り、リハーサルに遅れる旨を連絡。そういう間違いをしでかしたので、『今日は“注意日”だぞ』と気を引き締め盛岡に向かう。
 日没後のロータリーにある盛岡駅前のバス停を石のプランターの存在を杖で確かめながら歩く。周囲に明るい照明があるが足元は暗いのでゆっくりと。しばらくしてバスが来たが乗車口の手前に鎖が張ってある処に停車していることに気付き、これも杖を頼りに歩くところを確認して乗車でき、降車ボタンの位置を確認し、杖に助けられている実感をかみしめながら“注意日”を乗り越えたつもりになっていたが、まだ続きがあった。
 やがて降りるべき停留所が次という時に案内のアナウンスが無い!。窓の外を見て、降りるバス停が間近であることを確認しボタンを押しながら案内を見るが、過ぎ去った停留所名のままだった。マッコト焦ったなあ!
 こんなにマトメテ焦ったのは初めてだったので、色々考えた。暗いバス停で並ぶ時は先頭を健常の方に譲り、その方の動きを参考にした方が良い!乗車時に機械から受け取る『乗車した場所を示す番号札』もひっかかっていて、俺の目では外から見えない状態だった。有難いことに次に並んでいた方が、丸まって取り出し口の中にある札を取り出してくれ助かった。
 降車した時には雨が上がっていたのでホッとしたが、会場のルテリエまでの数十メートルが遠く感じ、辿り着いて疲れがドッとでた。余裕をもって行動することと、見えないところは健常の方にお願いして助けていただくことを強く感じた。

 発表会も成功!といえる出来で帰路につき、花巻駅に迎えに来ている娘の車に乗る。立てるようになった最近の孫の突拍子だらけの行動を聞き大笑い、一日の緊張がほぐれ、家まで送ってもらいながら、無事に一日を終われたことに感謝。

・(2011 10/6)
 畑を始めて今まで経験しなかった作業をするようになった。下を向いていて急に立ち上がると『タチクラミ』することがショッチュウあり、暗闇になった視野が回復する時に、妙にコントラストがクッキリして驚くことがしばしばある。

・(2011 08/03)
 最近、視野狭窄がすすんでチョッと見にくくなったかなと感じている。以前のように早足では歩かないよう心がけています。
 ひとりで盛岡に出かけて音楽講座するようになって丸4年になります。アッと云う間でしたね。
田舎暮らしをしながら、長い音楽人生の反映が意識にのぼるようになりました。

 去年のトンガの友人との別れ、3.11の悲惨な出来事などを経験し生きてゆく困難さも感じていますが、やはり人様との出遭い、向き合うことに救われています。そんなことを音楽で伝えたく、小さなコンサートを企画しました。

・(2011 06/22)
 この一月半、殆ど毎日、畑作りを楽しんでいる。思い付いた草刈りから始まった。
店を閉めて、初めての春は大震災による無力感からのサバイバルになっていたと思う。
 一月に長男を出産した娘が「閉じこもってないで花を見に行こうよ」と誘ってくれたのがキッカケだった。季節の移り変わり、自然の営みは偉大な教師なのだろう。
 
 力みすぎて間違った生活をおくっていた三十歳台中頃の胃潰瘍は、神様からのレッド・カードだったのだろう。その頃を思い出しながらの畑作り。見よう見まねで土を耕していると何か作物を植えたくなり、インターネットで調べたり、ご近所さんの助言を参考に楽しんでいる。


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・(2011 03/06)
気が付くと雪が止んで、うっすらと陽がさしている。杖を持たずに歩いてみると思ったより風が』冷たくない。昨日車に分乗して講演を聴きに行った『とうわ九条の会』の仲間から「バッケ(フキノトウ)が出ている」と聞いたので期待してブラブラ行きつく処の地面に目をこらしたが見つからない。林檎畑では花か葉の芽を見つけた。まだ固い様子だったが。
・幕末の日米通商条約の不平等を正すのに六十年以上かかったと聞く。又62年の日米安保条約の中に隠れた経済的戦略を聞かされ驚いた。今回のTPPにも同様の意図があるそうだ。
そんなことを考えながら、家に向かうとと雪から顔を出した田の水が揺らいでいるのに気づき足を止め耳を澄ますと解けた雪が流れる音が聞こえた。ぬるんだ田に生き物が動いているようだ。白鳥が餌をついばむ光景を『耳』で感じたとメールで伝えてくれた同病仲間を想う。

・(2011 02/06)
白い杖を忘れ盛岡を歩き、車止めの石に向う脛をゴッツン、久しぶりの痛み。
3月に障害者仲間の『社会参加による出遭いの拡大』をうたうイベントを手伝うことになり、色々考えている。
何回か出席した視覚障害者の集まりでも、出て来られる方々は、介助する方にめぐまれた仲間であったり、比較的軽度の仲間に限られ、外に出られぬ重度の方々とは中々会うことすら難しいのだが、たまたま、そのような方々と音楽をする機会を与えられ、大きな勇気を頂戴し感謝すると供に、あるべき交流が広がるように願っているのだが・・・。
 
・(2011 01/02)
昨年9月に『カフェほうほう』を閉めてからは盛岡講座を終え土沢駅から車で帰宅するのは、殆どなくなった。日暮れが早くなり駅の駐車場を歩くのが困難になったのと、息子の会社が花巻駅前なので花巻駅でピックアップしてもらっている。
ほうほう・みえこが外で仕事をするようになり、出張ライブの会場への車での移動も町内の場合は明るいうちに慎重に済ませ、音響機材のセッティングは一人でユックリやり、町外ライブは息子の協力に助けられています。
パソコンでの音楽制作は、老眼が進んだのか細かいレベル調整はパソコンの“拡大鏡”を使い始め殆ど問題なく続けています。
家の近くウォーキングは車の往来が少ないので、ユックリやっていますが、土沢駅へ歩く際は歩道の高低差や車道の横断に気を付け迷惑にならぬよう努めています。鉄道移動では人の多い駅構内など気を配って、少し疲れるかな。
・音楽に専念するようになりライブ活動の内容に微妙な変化を感じています。

・(10/13 ’10)
水沢のK夫妻、奥さんのR子さんは同病で「キンモクセイの花の香りが、こちらの生き方を問いかけてくる」と便りをくれた。部屋の明かりを点けた時に『明るさ』を感じるのが限度で光をうしなっているというR子さんは、いろんな能力でモノの存在を感じることができるようだ。両手に障害をもたれるご主人と一緒に音楽を聴きに来てくれる彼らの聴く力、生きる力に驚いている。障害をもつ以前はギターを弾いていたご主人は、今でも心の中でギターを奏でているのだろう。俺のライブでは競演しているのだろうなあ!きっと。   

・HPでカフェほうほうの『閉店』をお知らせして友人達が「本当か?」と電話やメールをくれた。「目の具合がそんなに悪いのか?」とも心配してくれ恐縮している。「去年位から見え難さを感じていますが・・・、俺の経営能力の無さで閉めることにしました」と話すと「行ける場所が一つ無くなるってことだなあ」と有難くも仰ってくれる。
・HPで同病と気付きメールをくれた方が「近くに来たので」とお出かけいただいた。人間ドックの検査で発覚、視力は残っているようだ、と互いの目の具合を確認し合い、音楽の楽しく話ができ嬉しかった。「今後は『ほうほう音楽工房』と通じて交流しよう」と仰ってくれ、新たな指針を感じている。   ( 9/ 4  ’10)

・音楽を通して人様と出会うが、音楽していて不思議と遥か遠くの想いに遭遇することがある。
・最近、リスナーの皆さんと共有する時間の流れの中で音楽していて『何だ、これは?』と日常では余り経験しない事柄が届いてくる。
・障害を持たれる方々との交流の中で、失った能力以上に豊かな感性を持って生きる方々に勇気を貰っています。
・驚くほど異なる『個』。
異文化といっていいほどの『自我』、交流がなければ何も解らない。   (8月  ’10)

・トンガの友人の支援のコンサート以降、息子の介助で5月に仙台市、6月に花巻市でソロ・コンサートをしました。仙台はピアニストの友人がセッティングしてくれ、花巻は夏至前夜ということで電気を消しキャンドルの明かりで、どちらもソロなので程好い緊張感で“熱く”音楽できました。
『ほうほうエンジェル・バンド』や娘とのジョイントを離れ、自分ひとりだけの音楽は久しぶりでスリリング。リスナーの方々に恵まれ、楽しい時間でした。    (7月  ’10)


指先         (2010 06/04)

ご注文の飲み物をテーブルに向かい合うお二人のどちら側に置きますか?とほうほう・みえこが問うと、ご主人が「(その人は)見えないから、そこに」と身振りで示し、PCテーブルに居る私の方を向いて「新聞を見て、来た」と笑顔で仰る。

奥さんは若い頃、陸上競技をやっていたと、やはり嬉しそうにニコニコ顔で仰るご主人は音楽が好きで、怪我で障害を負う前はギターを弾いていたと話していると、静かにしていた奥さんも参加して、私の目の具合を問い、ご自分も同病で失明されている、と仰る。
「彼女は砲丸投げで国体にでたんだよ」
「砲丸投げって、彼女は太目だったの?」
「筋肉質だったよ」などと
いろいろな話が盛り上がり、音楽も聞いていただき、
「ギターを弾きながら歌うと、身体に響くんですよ」とギターを抱えてもらい、彼女の身体越しに手を伸ばし弾き語る。

帰り際に出窓のフクロウに触って嬉しそうにしているので「手を撮って日記に載せていいですか?」と問うと「ブログやっているんですか?URLを教えて!」と点字でメモされ、仲良く腕を組んで帰られた。

ご主人の障害も、大分時間が経って判ったが、彼はニコニコと明るく笑っていた。
彼の腕に触って、自然に歩かれる様子に感動しました。

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・トンガで暮らす東京時代の友人が末期のガンで余命数ヶ月と診断され、緩和ケア―の資金カンパを、という便りを受け驚いた。
事情を伝え、音楽を聞いていただき支援カンパをお願いするコンサートを企画。短い準備期間で花巻、盛岡の二箇所で、当地の音楽仲間をはじめコンサートの制作にも大勢の方々が参加、賜ったご支援、激励の想いを送ることが出来、大変有難く思っています。
 失明に至るかも知れない病を得て移住、岩手カントリーライフが反映した音楽を、このような機会に、このような形で出来たことの意味を噛み締めています。   (5/ 6 ’10)


・岩手県内の『難病・友の会』で合唱を楽しまれている方々の発表会に、ギターで手伝うことになって、月一回の練習に参加してみて、皆さんが元気なのにビックリしている。   (3/30 ’10)


・出席した方々に比べると、私は視力が残っていると実感したが、私の見えない部分をフォローして貰い、有難く思った。
視野の狭さ、視力、感性の違いによっても『見えない部分』が異なるようだ。
互いに出来ることで相手を気遣う。当たり前だが、有難い。
音楽で何か手伝えぬかと感じました。    (3/26 ’10)

・岩手日報が1/30夕刊で、岩手県内の網膜色素変性症の患者と家族でつくる県網膜色素変性症友の会が、全国組織の支部設立を計画中。県支部の設立により、研究への支援、患者間の交流、治療に関する情報交換を目指していると伝えている。
県支部設立に関する問い合わせは、友の会事務局の菅原さん(019・646・4717)へ。 (1/31 ’10)

・服用していた薬の一つ、アダプチノールの輸入が滞って二年近くなるが、
この影響なんかも気になっている。 12/24 ’09

・定期検診の際に近況を報告、視野を細かく検査。大きさだけでなく、明るさの度合いを変えた光によって、どの程度見えているかを計れる検査。 11/22 ’09

・2m位の近くでは、和服を着ていらっしゃるのが判らなかった。顔を見てご挨拶していたのに・・・。
珈琲を淹れようとカウンターの中に入って、その方と5m位離れてから、和服だと認識できた。
どの位離れれば、姿全身が一度に見えるかな?! 11/03 ’09

・昨日、流星群が見えたそうで、オリオン座流星群だって。
高校生のアルバイトで終電で帰った時に自宅前で“流れ星"を見たことがある。あの頃の東京は今よりずっと空が澄んでいたんだね。     10/23 ’09

・夜の帰宅時、幹線道路から暗い道に入る時に『見えなくなった』と最近感じている。   9/27 ’09


・久しぶりで コケてしまった     (8/12 ’09)


土沢音楽祭のご協賛を集めて、息子と歩いていた時、突然の土砂降りの雨に慌てたのです。
足元の重いベンチに気が付かずに前進し、向こう側へとデングリガエシ。
岩手暮らしになって、じょにこのガイドに助けられ、自分でも気を付けていたのだが・・・。
青アザ、切り傷のの弁慶の泣き所にアボリジニーのオイルを塗りながらトホホ・・・ため息。
このオイルの効能か、ハレは翌日で引き、傷も小さくなったが、息子の前でのデングリガエシはコッパズカシかぁ〜!!!     
一週後の年一度の眼底写真撮影の際の薬のアレルギーで、未だに目が赤い。
今年の検査はストレスが大きかったようだ。
 
土沢音楽祭の無事終了、
真下で見る紫波の花火、そして気の合う友人達との歓談で、ホッとしています。


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大事なことは 見えないことが多い      ・・・ような気がする    (2010 01/08)

光の反射を受け止める・・・それが『見える』ってことだけど、網膜が壊れていて視覚からの情報が少なくなったのいう実感は確かにあるんですが、新たに別のアンテナが広がって何かを受信してくれているようです。

それは何なんだろう?
言葉では説明しにくいのだけど・・・

・ふと気が付くと『さっきまでと違う時間軸に存在する自分』を感じることが始まった、のかな?岩手という新しい環境変化のゆえか、本来のオッチョコチョイが原因か・・・

 例えば
田圃の水にオヒサンの光が映って『綺麗だナァ!』と立ち止まって見ていると、可笑しな状態になります。
眩しいのが大の苦手の病だから、凝視など出来ないのでボンヤリと見る。見てるうちに眩しいからボンヤリ度が更に上昇し、別世界状態になって数日前の会話の意味が届いてくる。
初体験は一戸の友人クマゴロウさんの町で演奏した時のこと。暗くなると運転できないので往路は私が運転手、久し振りに花巻から高速道路をほうほうエンジェルバンドを乗せて結構スピードを上げて走った。演奏を気持ち良く終え、飛び切り美味しいものを味わいビールもご馳走になり帰路に付いた。山間の藤の花の盛りの時期だった。満腹でビールの程好い酔いも手伝い後部座席で快眠。二、三日後の休日に田瀬湖に行き、じょにこと湖畔を歩いていたら「ピーヒョロロ」とトンビが長閑に鳴きながら高い空をクルクル。じょにこに「トンビさん、気持ち良さそうだなぁ!」と声をかけて見上げていたら、クマゴロウさんの言葉が届いてきた。暫らく湖畔で「何故だ?」を繰り返しボーっとしてた。
・その時思ったのは『高速移動すると魂が付いてこれないから休憩して待つのさ』と云う山岳民族シェルパの考え方。成程ぉ、こういう事かぁ!と妙に納得。以後、そんな風に色んなものが届いてくるのです。

・ガイドのじょにこに話しかけて、じょにこが首をかしげて何か言う。じょにこが翻訳して感じさせてくれる。色々届けてくれた。
・岩手の風土と親しくなったネイティヴの皆さんが翻訳して大事な思いを沢山届けてくれる。
・遠く離れている方々から数々の想いが届くようになった。

そう、大事なものは大抵、目には見えないんじゃないか・・・
少し見えるようになったんじゃないか?・・・
などと想っているこの頃です。



・(02/19 09)
掲示板に同病で私よりズーッと重度の方から便りが届きました。
音声ソフトでパソコンを使っていると仰る。パソコンを始められた頃にはモニターの画面が見えなかったと。子育て中とあるので、ずっと若い方のようで、それでもHTMLを書き込んでHPを展開されている。どのようにして『ほうほう』のHPへ辿り着かれたのか、凄い方と感じ入っている。

その方のHPをチョッと拝見し、胸がつまってしまい先を読めずにいます。
『綺麗なレイアウト、画像等を載せられない・・・』と仰る。
でも『お友達が手伝ってくれているから・・・』と明るく語っている。

先日盛岡の歩道で電信柱にぶつかって眼鏡のつるを曲げてしまった(殆んどをオデコでショックを吸収したので・・・)。『もっと注意しなくちゃ!』と己を戒めたばかりなので、『載せられない・・・』と『友達が手をかしてくれるから・・・』いう言葉が響いています。

  ドンママさんの HP   です。


眼病発覚から 十年経って

(2008 12/07)
・変化がありました。
物心ついた頃より『オッチョコチョイの慌て者めが!』と家族はじめ皆の衆から言われ続けていたのが、『それは病気のせいだぜ』と明かされ、大きな戸惑いと、ホッとした安心感がナイマゼになって押し寄せてきた。
『95%の視野が壊れてる』という現状を突きつけられて「じゃ今、見えている部分が5%で、100%見えていたのは何時のことだ?」など支離滅裂に考えはじめた。
『都会での暮らしは可也困難だと思う』という医師の助言を受け入れ、東京を離れて田舎の暮らしを始めたが、東京で10年一緒に暮らしていたわんこの『じょにこ』の存在に助けられた。
戌年なので気が合うのか、朝夕のじょにことの散歩で俺独りでは辿り着けない数々のものに案内して貰った。よそ見をしている間に彼女が見えない障害物の向こう側に行ってたりで、何かにぶつかったりの連続だったが、彼女のルンルン、くんくんと歩んでいる様を見ていればホボ安全だと気付く。

わんこの寿命は短く、目や耳がとおくなりながらも匂いの研究のかたわら、8年間岩手でのガイド役を勤めてくれた、じょにこのお陰で残りの5%というが、見えている部分こそ=100%の世界・・・というふうに
考えるようになれた。

(12/16 08)
盛岡で下車する際に土澤から汽車で乗り合わせ、ずっと話しかけてくれていた方が、私の白杖を指差され「それは音楽の指揮棒か?」と問われた。(若い頃タンゴのバンドをやってられた方だそうで、多分マーチングバンドの指揮棒と勘違いされたと思うのですが・・・)

「目が悪いのです」と答えると
「何処が悪いんだ?見えていないのか?」
「見えている視野が極端に狭いので、この杖で周囲の方々に知らせているのです」
「おっ、そうか」「俺もガンだ、だから月一回医大に通っているんだよ・・・」
「・・・そうですか、お大事にして下さい。思いがけず話ができて良かったです。有難う御座います」

(01/30 09)
何かがどの様に見えているのかを他人様と比較検討するってなかったのですが、見える部分を切り取って比較できたら分りやすいのだろう。
もし今の私に100%だった頃の視野が与えられたら、情報量の多さに戸惑ってしまうのだろう。
『見えている部分が見える部分』って事に変わりはないのだろう。


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どのように見えるのか? っていうと     (12/ 6 ’08)

・晴天の日差しから室内に入ると、しばらくモノが見えません。
・一点を見ていて、遠くのものは腕を伸ばして両手の親指と人差し指でつくる輪の範囲は見えます。
・近くでは、例えば音楽講座で使う歌詞をA4の紙にプリントして受講の方々に配っているが、フォントの大きさは題名は16ポイント、歌詞は12ポイント。
このテキストを不自由なく読めるかと言うと、ノーです。
読めないのです。横書きの一行全部が同時に見えず、行数も三行以上は何行なのか、一時には認識できない。
一番の歌詞を歌っていて、受講生の表情を見て、歌詞に目を戻すと二番の歌詞だったりして戸惑います。

・モノを凝視するのは苦手です。
信号待ちして青に変わるまで、赤信号を凝視するのはとても疲れるので出来ません。

・会話をする時、相手の顔が一時で全部が見えないので、表情を把握するのには顔の部分、部分を何回かに分けて見るので、疲れます。目が痛くなって、終いには目を閉じていないと苦しくなるので、大抵あらぬ所をボンヤリ見ているようです。

・譜面も一時に広範囲を把握できないので、新しい楽曲を覚える際に、メロディー、コード、記号など記譜し確認しイメージ化し、その後は歌詞だけを控えておきます。(イメージ化するのは多分、視覚からの情報を期待できぬので、自然に取り入れるようになったのかもしれない)

・取り込みたい視覚情報が明る過ぎると、駄目です。直ぐに疲れてしまい、目を閉じてしまいます。また視野の外から強い光が当たるのも同様に疲れてしまいます。

・暗いところは見えません。
良く知っている夜道は道路の白線が見えれば、ゆっくり歩けると思いますが・・・。
夜歩いていて知り合いに会っても、声が届いてこなければアキマヘン。
暗いパーテーなどで、相手の顔を見てご挨拶している時に、握手を求められるのを認識できずに、何回となく失礼しているようで心苦しいです。

・『ほら、あそこ』って指差される時は、『アッチ向いて ホイ』状態でやってもらうのがイイかな!

健常者のようには見えていないかもしれないが、見えてはいるのですよ。唯、時間がかかるのかな。
この文章をタイプしながら、一字を凝視して、何字隣まで見えるか?などやっていたら、疲れて目の中が痛くなりました。今日の午後二時間講演会を拝聴しましたが、天井に蛍光灯が沢山並んで煌々としていたので、二時間殆んど目を閉じて大切な話を聴いていました。それでもアカル過ぎるストレスは、数時間たっても残っているようです。



白い杖

☆ (3/19’08)
2月、3月と上京してみて、混雑した場所を歩く際には白い杖を持とうと感じました。
介助者に付き添われていても、独りで歩くにしても狭い視野では周りの方々に迷惑をかけてしまうのだ、と気付きました。       

☆ (4/ 1’08)
盛岡の講座の日に盛岡駅に着いてから、初めて使ってみて、有難い対応を沢山頂戴しました。
私の目で認識できずに見逃した、優しい眼差しが有るかと思うと、申し訳ないように思います。

☆ (4/20’08)
久し振りに東京の町を次女と歩いた際に注意された。

「パパの歩き方だと『白い棒』を“持って”いる人に見える」
「チャンと『目が悪いんです』と意思表示しなくっちゃ駄目だと思う」
「じゃないと分って貰えないヨ!」

有難い注意でした。


ひとり歩き     (1/30 ’08)

☆ 音楽講座で独り歩きを再開し10ヶ月になりますが『慌てないように』を心掛けています。

独り歩きする私に付き添ってKumoKazeさんが盛岡駅から講座の場所まで事前に、数回予行演習をしてくれ、より安全なコースを選んでくれ、気を付ける場所をチェックしてくれました。
この病が発覚して交付された身体障害者手帳には『要介助』を示す『1級』とあり、以来ひとりで歩くことに恐怖を感じていた私に勇気を与えてくれた。
友人達の応援で独り歩きを始められたのです。

自分を取り巻く状況を、残された視野による少ない視覚情報で判断するには絶対的に時間がかかります。
盛岡駅からテレビ岩手まで、幾つもの横断歩道が在りますが、歩行者信号の無い場所もあります。
信号の有無、信号の色をシッカリと確認して動いています。

(’10年現在、テレビ岩手アカデミー以外、松園にも、ひとり歩きで出向いています)
   

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