不思議な場所 かもしれないナァ 此処って

初めての方も、何故かお喋りで盛り上がるカフェほうほう
我々自身、社交性があるなんて一度も思ったことがなかったのです。

’98年に目の病が発覚、このまま進行すれば失明する病(網膜色素変性症)で、既に95%の網膜が死んでおり、治療法が無いので
『ライフスタイルを考え直しましょう』と診断時に医者からアドバイスされ、一週間後には此処で暮らそうと決めた。
我々が作る料理を子供らは上手に褒めてくれた。「ママはハンバーグ屋さん」「パパはカレーライス屋さんになったら」とオダテの言葉を拠り所に、生まれ育った東京から、妻の実家の在る東和町に移住し土沢駅前でカフェほうほうを始めた。全く経験のない飲食業。実家から歩いて7、8分の処。結婚以来、夏の休暇を過ごす内に「こういう処で暮らせたら良いナァ」と思っていた場所。


数多くの印象深い出逢いがあった。
たった一度の旅での出遭いだったり、一生のつきあいの始まりだったり。

都会では感じられなかった有難い出逢いは
思いがけない方向へと広がってゆく。


土澤って 宮澤 賢冶さんも 好きだった場所!?

大阪からいらした宮澤賢冶研究家が熱く語ってくれたのは、オープン直後だった。
「賢治は、当時の岩手軽便鉄道(現・JR東日本釜石線)花巻〜土澤開通以来、土澤によく通っていた」「特に市の立つ日に来て一日土澤の賑わいを楽しんでいたようだ。目撃談もあるし」
「いろいろ調べると、どうやら、あの『銀河鉄道の夜』の構想が始まったのは此処、土澤ではないか、と思う」「土澤の市日の夜の天気の記録を調べたら、記録的な星の綺麗な夜が有った」「『銀河鉄道の夜』を読み返す度に想いは深くなっている」「だから、この場所には力が在るのかもしれない」

初対面で熱く語ってくれました。



あっ お尻に 根っこが生えそう!

                                          ほうほう・みえこ

 僕は、ここ「カフェほうほう」のベンチです。
僕の頭の上に陣取って挙句の果てに「危ない、危ない。今日も根っこが生えそう!」と楽しそうにお帰りになるお客様が沢山いる。
ベンチに生まれて良かったなぁと思える瞬間だ。
僕が生まれた時、「もう少し低くても良かったかな?」なんていう声も聞かれ、内心どきどきものだったのです。だから捨てられないように、精一杯いつも頑張っている。
 僕の体がだんだん出来上がって来たある日のことだ。
「僕も一人前のベンチになってお仕事をするぞ!」と、心に誓ったんだ。
そしたら、目の前に5人の神様が現れて言ったんだ。
 神様1「どれどれ、どんなお仕事をするのかい。聞かせておくれ?」
 僕  「え〜、え〜と、僕は沢山のお客様がこのお店に来るように頑張ります」
 神様2「ふ〜ん。それはどうやるのかね?」
 僕  「はい。美味しい珈琲がいつもできる様に念じます」
 神様3「それだけかい?」
 僕  「そして、美味しいお食事がお客さまの前に出てくるように念じます」
 神様4「それから?」
 僕  「このお店に沢山お客様が来たくなるように念じます」
 神様5「そして?」
 僕  「ここでお店の人とお話をすると幸せな気持ちになって、何度も何度もこのお店に来たくなる様に念じます」
 神様全員「そうじゃ、そうじゃ。美味しい珈琲も美味しいお食事も大事だが、幸せな気持ちになるお喋りは、人間にとって大切な事のひとつだ。今日の辛い事も忘れて、明日も頑張ろうという気持ちに為ることがな!」
 僕  「はい、頑張ります」
 神様1「最初はみんな頑張るのだが、時間が経つと忘れるものだからのう。最後までその気持ちを持ち続ける・・・これが難しいのだよ。忘れるでないぞ!」
 僕  「はい。約束します」
 

 僕は今でも「チャンと出来ているだろうか。お客様はこのベンチに座って少しでも”幸せだな!”と思ってくださるだろうか?」と思ってどきどきするんだよ。だから、今日みたいにお客様が「お尻に根っこが生えそう!」と言って笑って下さると心の底から「僕は自分の仕事をチャンとやれているようだな」と安心するのです。


普通に つくってます って

東京から移住後に地元の美味しいものに出遭い、その感想を生産者に伝えると、
皆さん揃って『普通に作っています』と仰る。
お米、野菜、林檎、菓子、鶏卵、牛乳、海産物、醤油、味噌等など、数えればいとまが無いのです。
そして水が美味しい。これは岩手の風土に感謝。
こういう処で暮らしている人々からも、嬉しくなることを沢山伝えてもらっています。
長い間、岩手の自然に育まれた何かの反映なのだと思います。

普通でないものが多い昨今、改めて普通の大切さに感謝しているのです。



 もうじき 10年に     (1/11 ’09)


ステージ・デビューの年、著作権が倍の50年に延長された。『賢治さんの詩に曲を付けたいのに・・・』などオコガマシクモ、ガッカリしたものだった。
解禁されたが、そんな創作意欲は何処かへいってしまい、新たに岩手の田舎暮らしは賢治さん、村上昭夫さんらの詞(ことば)を翻訳してくれています。

・この町の古老たちの証言によると、賢治さんは土澤駅を拠点に随分と長距離を歩いて移動していたようです。
かなりの健脚で、土澤駅で下り『種山』に行き、帰りは東北本線の水沢から乗車され花巻に帰られた、というからマッコト・オドロキ!です!
土澤駅までの開通でも大迫(おおはざま)遠野方向へ足を延ばしていたようです。

冬と銀河ステーションからは、この辺りを好まれていたのが分ります。終列車後、花巻まで歩くなんてショッチュウだったでしょう。

現在の土沢駅の近くの鉄道信号機の傍を歩く度に、賢冶さんの雰囲気を感じたりするのは私だけだろうか?




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