4/16(日) 日本現代詩歌文学館で

前年から続く感動が 新たに 

みちのく語り唄
    北上市日本現代詩歌文学館 講堂   
       午後1時30分 開場  2時 開演

第一部 はるかなる遠野
 民話の里の幻想が、佐藤 章作詞  川村江一作曲の楽曲で綴られます
   曲目 
     はるかなる遠野
     ねんころ子守唄
     ざしきぼっこ
     のんのん 降る雪
     鹿踊りの歌
        演奏 MIKI & Gee-Jees
           (小田原美貴子 村上成夫 溝渕和雄)

第二部 動物哀歌によせて
 治らない病のなかで、ひたすら生きることの美しさを追い求めて、この世を去った詩人村上昭夫
 ギターの演奏にのせた 詩集 動物哀歌の朗読に、詩人の透明なまでの美しい心が蘇ります

    兄の思い出語り 動物哀歌・朗読  村上成夫(昭夫末弟)   
             ギター演奏   溝渕和雄



上の文章は、HPに掲載した『お知らせ』で、村上さんが主催者に伝えた『内容』です。

『三十年以上村上成夫さんの心で蠢いていた楽曲を発表するコンサート』
『動物哀歌・朗読』
『兄・村上昭夫を語る』をイッショクタにするパフォーマンスを何と読んだら良いのだろう?

Mikiちゃんとの音合わせが当日初めてという状況でのリハーサル、本番でした。


雨模様、村上さんMIKIちゃんより遅れての会場入りで、誠に失礼してしまいました。
入り口が分らずウロウロ、グルグル。
やっと講堂の舞台に辿り着き、ご挨拶もそこそこに『音響チェック』と『リハーサル』を同時に進行。

MIKIちゃん、村上さん、私の三人が揃ったのは、今日が始めて、それぞれのパートの確認をしながら、一通り演奏してみるが、モニター機材の不調に気を取られリハーサルに集中できず、中断してモニターチェック。
客席数250で、舞台空間も広い本格仕様、吸音が良すぎて、互いの音が聴こえない、よってモニター・スピーカーの音が唯一の頼りとなるので、三人の神経はモニターされる音に敏感にならざるを得ない。

試行錯誤を数十分、リハを再開。
気が付けば食事の時間を大幅に過ぎ、慌てて館内で食事タイム。
IBCの鈴木 修の奥さんに会えた。
修さんは仕事の都合で来れず、自分で運転して来た、と仰る。

今日の構成は村上さんに任せてあるので、安心。二部の『兄、村上昭夫・詩集動物哀歌を語る』では「打ち合わせ、演出、一切無しでいってみよう」という構成コンセプトを二人の間では、当初から確認済みなので、楽屋入り。
打ち合わせ、演出、一切無しという乱暴な(?)舞台も始めて。


一部開演5分前にステージに板付け。
定刻の2ベルで影マイクで主催者の挨拶があり、『緞帳上げ』を合図にイントロという段取でしたが、
主催者が居ない・・・らしい・・・
挨拶が無い・・・らしい。
無言の間が続く。
舞台進行の遅れを気にした会館の職員が来て主催者が見当たらないことが判明。
主催者は客席の何処かで観客いるようだ、と認識したステージの三人は
『挨拶無しで開演』と急遽変更し、リハで確認した少し速めのテンポで一曲目のイントロを演奏、緞帳が上がりきると、
最前列にkumokaze夫妻とその友人の笑顔が見え、エールを送ってくる。
普通、コンサートが始まると客席の照明が落ちるのだが、明るいままなので客席が見渡せる。これも初体験。

村上さんのギターが付いてくる「イイ感じだ!」
MIKIちゃんの優しい声と男声二部のハーモニーがホール全体に流れている、
当時IBCに居た村上さんが、三十余年前に聴いた楽曲が蘇る瞬間。
リスナーの眼差しを感じながら一曲目終了、拍手の暖かさ。
上手(かみて)村上さんのMCがリスナーに、これから演奏する内容、作詞者の紹介、
和んだ雰囲気で進行、オカゲで中央、下手(しもて)の二人は演奏に集中できる予感。
こういう臨機応変、協力体制は、素晴らしい。改めて、夫々の今回の存在意義を確認し、
リスナーのみんなと時空間を共有するライブの始まりだ!




#1

前年 05年のIBCラジオ広場
『クロは何を見たか? 村上昭夫・詩集“動物哀歌”』
から続いた


写真は左から
鈴木 修さん
現・IBC社長 安部さん
ほうほう
村上成夫さん

05年 6月に制作されたラジオ番組は経験したことのない真剣勝負になった。

物凄い感動が生まれた作品になった。
稀有な出来事の一つになったのです。
思い出しても身震いするのです。
制作の鈴木 修さん、昭夫の末弟である村上成夫さん、音楽担当の私。
少人数で創ったから出来たのかも知れない。
東京で数々の番組作りを見たり、参加したが、これ程の真剣勝負は経験できなかった。
大勢のスタッフが集まり過ぎると、多分異なるものが出来上がったと思う。

2時間のスタジオでの録音に先駆けて、修さんを相手に語る村上さんの対談は未編集の資料として聞いていた。
この対談の内容に無駄が無く、ほぼ完璧な構成が成されていた。
この日のスタジオでは、村上成夫さんの選んだ『動物哀歌』の彼自身による詩朗読と、私の即興のギター演奏を同時録音。
ミキシング・エンジニアは修さんが行った。
数編をマイク・チェックを兼ねて試し録りし、
調整室のモニター・スピーカーで聴いてみた。

村上さんの想いがほとばしる。
修さんが静かに「ひげさん(村上成夫さんの愛称)、もうチョッと力を抜いた方がいいと思う」と指示を出した。
ひげさんと私が同時に頷く。
この時、すでに三人とも涙が浮かんでいる。
何も言わずスタジオに戻り

本番。
十数編の朗読が滞りなく進んだ。
皆が泣くのを堪えながら、それぞれの仕事をした。
1時間以内で録り終わり、調整室でチェック。
涙をこらえながら聴き、皆でうなずく。
それぞれの仕事を認め、それぞれが自分の仕事をし終えた瞬間。

長年あたためていた想いを放送番組として制作したからこそ、素敵な仕事となった。
局内のティールームで珈琲で乾杯。
社長(09現在)の安倍さんも加わり、和やかな時が流れた。


戦後の21年に帰還した昭夫さんは二十歳、迎えた成夫さんは五歳。私はこの年に生まれた。
修さんが『動物哀歌』に出遭ったのがIBC入社の頃で「感動した『動物哀歌』を何時か番組にしたい」と思った、と伺っていた。
私が『動物哀歌』に出遭ったのは、岩手に来て2年過ぎたあたりだった。「俺の死んだ兄は詩人だったんだ」とひげさんから手渡された。


#2

『動物哀歌』を読んで感動したが、何回も読み返せずにいた。読む度に泣けて、泣けて、泣けてしまうのでした。

若い頃、宮澤賢冶の作品に曲を付けようと試みたが挫折したことがあった。音楽を志す者にとって、好きな文学とのコラボレーションは誰でも通る道なのかも知れないが、偉大な作品に余計なものは必要ないと諦めるに至った若い頃を思い出した。
「『動物哀歌』に曲を付け、歌っている人が居るんだ、ほうほうもやってみたら?」成夫さんから勧められたが「私には出来ないですヨ、『動物哀歌』は完成した作品なのだから」と答えていたので数年前だったら『IBCでの番組作りで音楽で参加せよ』という二人からの指令は正直『恐れ多いので』と辞退していたと思う。
昭夫さんの詩は、言葉が持つ音楽的な要素を内包していると思っていたから。


まず鈴木さんが村上さんに、番組を創ろうと声をかけ、「ベイシックな構成を二人で蕎麦を食いながら決めたよ、『音楽はほうほうでやろう』っていうのも決めたんだよ」と村上さんから聞かされた。
命令でもなく、仕事の依頼でもなく、二人の制作意欲が伝わる素敵な仲間からの『誘い』だった。

そして凄い『真剣勝負』に展開した。




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