M.2 今は涙が

言葉で想いは伝わるの?
手紙で別れを告げる泣き虫、手紙で伝わるのだろうか?・・・いろんな想いを伝えられるだろうか?・・・あの伝えたい人に・・・。
歌詞を便箋に書き出し、おかしくないかをチェックしたりして、結局は最初の歌詞のままでした。

 
  さよならが 言えないのは
  どうしても 言えないのは
  君を愛して いるからです

  今は涙が いっぱい
  今は涙が 止まらない
  今は涙で 溺れそう
  明日が 見えません

伝えられるとしたら、私の音楽でしか在り得ない、など力んでいた私が3年在籍していたバンドが解散することになった。
故ジミー時田によって創設されたマウンテン・プレイボーイズの流れをくむトム・アンド・ジェリーズ、今でも大好きな音を奏でていたバンド。
ソロでステージ・デビューし後に音楽監督をしていた渋谷のライブハウス『青い森』でジミーさんとトムジェリの演奏を聴いた。『日本にもこんなに凄い歌手やバンドがいるんだ』と鳥肌になりながら聴き入ったバンドに一年後に参加できた幸運。
ジミーさんからは初対面で「俺の音楽を聴いて付いてこい!」と言われた。付いていくのが精一杯、死に物狂いの真剣勝負が続いた。

「ミゾのプロデュースでコンサートをしたい」と晩年語ってくれが、あの頃のジミーさんの薫陶がなければ今の私は居ない。
音楽著作とかCMソングを歌ったりのソロ活動を並行していたが、このバンドの音楽が無くなってしまうのが辛くて、悲しくて、どうしてよいのかが全く判らずにいた。迷子のように・・・。

そんな暗闇で書いた楽曲。
今後の方向への模索中に、このリフレイン部の17小節から生まれた。
key in Dで詩、メロディー同時に。五線紙の空白に詩を書き、浮かんでくるメロディー、コードもメモる作業は、バンドの残務処理のスケジュールの中、シンドイ精神状況だった。
極限的な疎外状況での創作活動が自分を維持していく唯一の道なのだろうか?等など、考えながらだから、ライブハウスでの演奏はピリピリした音になり、サポーター諸氏は怖がっていた。アレンジ、著作、CMの歌唱などのソロ活動がなければ、どの様になっていただろうか?
音楽以外に自信の無い自分を意識せざるを得ない、この頃。
どうにもできない状況が、この曲になったのかも知れない。

解散、次のバンドにボーカル&ベースとして移籍。この『今は涙が』の発表と音楽の土台であるベースとの出遭いは私の大きな進化に繋がった。
このバンドではコンサート・マスターを拝命、自分の音楽を実践する場を頂戴した。
カントリーロックという新しい流れの中の試行錯誤は私の救いでもあり、大いなる勉強ができたと思う。
リーダーの杉はじめ氏に感謝。

CD・ほうほうの世界では、QY100のMIDI音源と私の声とのバランスが課題となった。
バック・ハーモニー・ボーカル15人分、薄くダビングに大半の時間を費やした。営業後の深夜に声質を変えながらのダビングはソロ作業の限界を感じながら進行、録音ソフト、私の資質とのバトルでした。
静かな環境、東和町だから出来た録音作業で、感謝、感謝。
最近、この唄をチッチャイ子供が歌っている様子をテープに録って送ってくれた人がいます。
細かい16分音符のフレーズも、イントロ、間奏のメロディーも正確に歌っているのには驚きました。
故小坂一也さんは、この歌を気に入ってくれて、お会いする度に「一箇所、気に入らない歌詞を変更してよ、レコーディングしたいんだからさぁ!」と亡くなる寸前まで仰っていただいてたのですが・・・。 
共通の岩手の友人が「小坂さん、この曲東京のライブハウスで歌っていたよ!俺聴いたことあるもん!」と、最近伝えてくれた。
小坂さん、有難うございます。

08年の冬、ほうほうソロでのライブで、笑って聴いていた若いギャルが、この曲で突然、泣き出しチョッとビックリした。


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