M.1Sunshine, Good Rider (サンシャイン グッド ライダー)


三十歳過ぎ、コーラスグループの音楽監督と並行して個人的な活動を続けていた。
音楽著作やスタジオではCMソングなどの音源制作。
新しく始まるTVトーク番組『素晴らしき仲間達』(TBS系)のテーマ音楽を担当した。
想い出に残る楽しい仕事だった。アコースティック・サウンドでオープニング、エンディングを合わせて5〜6曲をアレンジ、録音し、季節やトークの内容などに合わせ放送していた。そのうちにオープニング・テーマはアメリカ民謡『スキップ・トゥ・マイ・ルー』に定着。

プロデュースはジミー時田氏。制作会議で分厚いジョン&アラン・ロマックスが収集した『アメリカン フォークソング』を渡され「この中から音源をつくろう、選曲、アレンジはミゾに任せるから、イイものを創ろう!」と檄をとばされた。

中学時代にピート・シーガー率いるウィ―ヴァ―スの音源に出逢い、音楽の道をすすむようになったものにとって、ジョンとアラン・ロマックス親子の業績に感じ入っていたので、ジミー時田さんのアドヴァイスは心に響き、音楽仲間と素敵な音源制作に広がった。(ロマックス親子の膨大な業績なくしてはブリティッシュロックの台頭は語れない)

その数年後、番組スポンサーのHONDA技研さんから「バイクライダーの楽曲を作り、レコード制作も」と依頼をいただき、この曲は誕生した。
当時、中古のHONDA CB50に乗り始めた頃で、東京湾の埋め立てられた大井埠頭で、何故かオフロードを楽しんでいた。最初は道路でブレーキングの練習をやっていたが、何時の間にか土の上をトコトコ走ったり、ジャンプの真似事を楽しんでいた。
“奥深い乗り物”バイクは、初心者の私に色々な事を教えてくれた。
三十歳を過ぎて目覚めた新米50ccオフロード・ライダーに『 バイクライダーのための楽曲制作 』のオファー、「道路も走らなくちゃ」と深夜の都内の道路を取材を兼ねて走り回り、永遠のテーマ『人生を如何に生きるか』をダブらせ、この曲が出来上がった。
アコースティックなサウンドの一つ、ブルーグラス・ミュージックを意識して書いてみた。
番組のテーマ曲に登場している楽器(フィドル、バンジョー、ウッド・ベース、ギター、パーカッション、手拍子)全部と、深夜の銀座の録音スタジオの雰囲気を思い出しながらの曲作りでした。
その後 HONDA XL250R, YAMAHA SERROW 225に乗り、東京周辺に行動半径は広がったが、ノンビリ・トコトコと走っていた。

自主制作の音源のプレスが済むと、発表会場の八時間耐久レース直後の鈴鹿サーキットへ。そこには興奮さめやらぬ全国から集まったバイクフリーク達。

この楽曲をリメークしてテイチクから発売という話になった。
オリジナルに続き、ジミー時田さんの歌以外考えなかったが、突然、大事件になった。
虎ノ門のテイチク・スタジオだった。


「正統C&Wには、こんなマイナー・コードの進行は無い!」
「俺はこの曲、嫌いだからな」
「歌いたくない!」と言い出したジミーさん。

調整室内のスタッフ全員が凍った、勿論私も。
ディレクタ始め、スタッフ全員が私の目を見ない。
今思えば、よくあの場面を切り抜けられた。思い出しても冷や汗もんだ。
「チョッとの間スタジオのマイクをオフって下さい」とお願いしてジミーさんと二人きりでスタジオに入り向き合って
『楽曲の出来については後日ゆっくり聞きますので、ジミー時田の歌でバッチリ決めた音源に仕上げましょう!』と進言。
実際は可也強い語調で申し上げ、ジミーさんのマーチンをお借りしてフルコーラスを一度だけ、私が歌った。
「俺だとここまでしか歌えませんが、ジミー時田が歌えばイイ楽曲になるんです」
「テイク・ワンでやっつけましょう!」

「一回だけだぞ!」ブスっと言う。
「ハイ宜しくお願いします」

調整室に戻り「お待ちどう様!」「オケ流して下さい!」
みんなホッとする中でダビング開始。
実際はテイクが一つ増えたがOKが出て「お疲れ様!」と言い合う声の中ジミーさんが戻られた。
「俺に、あそこまで言った奴は、ミゾ!オメーだけだぞ」と仰る。
『又、凄い場面をみたなぁ』と呟く私の心は涙でイッパイだった。凄いテイクだった。

そのジミーさんは私の岩手暮らし数年後に亡くなった。
葬儀は白内障の術後で視力の安定待機中で、眼鏡無しの不安な上京でお別れしてきた。

眼病の発覚を機に岩手暮らしを始めると挨拶に伺った銀座のライブハウスでの演奏が最後になったが、時々私の音楽をチェックしに来てくれるのです。

現在は、ライダー時代を思い出せるタイムマシンかな?!

1 思えば つらい長い旅だった
  今こそ 帰ろう 君の処へ
     何処までもつづく 果てしない道を
     何時でも 独りで 走っていた
  分かれ道に出会う時は 心揺れて 迷っていた

     今 I’m a sunshine,good rider
     すべてが自由に見える
     風よ 伝えておくれ
     I love you, my love, I’m your good rider

英語圏の女性の前で、I’m your good riderと歌うと、彼女たちは必ず顔を赤らめる長閑な時代だった。

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